花筏に沈む恋とぬいぐるみ




 「い、いただきます」


 先程凛に話したように、花は牛丼を食べた事が1度もなかった。
 牛丼というものがこの世にあり、安価ですぐに食べられるというのはニュースやテレビのCMなどで見た事があった。けれど、家族の前で食べてみたいなど口が裂けても言えなかったし、だからと言って一人でこっそり店に行くのも恥ずかしかった。それに幼い頃の自分は牛丼を食べる人を小ばかにしていたように思う。そんな安い所で、会話も楽しまずにかきこむように食事をして何が楽しいのだろうか。おいしいわけがないじゃないか、と。
 けれど、今はそれが間違えだとわかる。
 安くても良いものはいいし、美味しいものはおいしいのだ。それは人それぞれの価値観もあるだろうし、好みもあるだろう。それに、仕事などで急いで食べなければいけない人だっている。疲れ果てて早く食べたい人だって。
 自分の当たり前で決めつけるのはよくない。それを知る事が出来たのはつい最近の事だ。自分でも、世間知らずだと恥ずかしい。

 牛丼ひとつで、そんな事まで考える人間などいるのだろうか。
 と、思いつつ、花は小さく口を開けて汁が沢山ついた牛肉と少量の白米を舌の上に乗せる。
 その瞬間に、「んッ」と小さな声が漏れてしまう。声が出そうになったが何とか堪えて全て飲み込んでから口を開ける。


 「おいしいです!牛丼、おいしいッ!」
 「そっか、それはよかったよ。おいしいよね、牛丼」
 「うん。これってどこにあるの?」
 「ふふふ、どこにでもあるけど、この店の近くにあるんだ」
 「私の家の近くにもあるかしら」
 「あるんじゃないかな。でも、まずは冷めないうちに召し上がれ」
 「そ、そうだね」


 「牛丼でこんなに喜んでくれるなんてね」と花の食べる姿を嬉しそうに見つめる凛だったが、花は牛丼の味を噛みしめるのに必死になっておりそれどころではなかった。
 彼にはいい事を教えてもらった。川に飛び込んだかいがあったな、なんて思ってしまう。

 そんな時、フッと視界の端で何かが動いたのに気づき、花は顔を上げた。



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