とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 翌日、仕事が終わると美帆は会社の最寄駅に向かった。

 滝川と待ち合わせをした時刻は五時半だ。待っていればそのうち来るだろう。

 帰宅ラッシュで美帆の前を次々と人が通り過ぎていく。この辺りはオフィスビルばかりだから似たような格好の人間が多い。私服を着ている滝川の姿を見つけるのは簡単だ。

 美帆が駅改札前のロビーで待ってからしばらく経った。しばらくと言っても二十分ほどだが、滝川はまだ来ない。約束の時間を十分過ぎていた。

 ────どうしたんだろう。五時半って約束したはずなのに。

 帰宅ラッシュの波は穏やかになっていた。

 もしかしたら仕事が遅れているのかもしれない。だが、それならそれで連絡くらいしないだろうか。滝川が約束を反故にするとは考えにくい。

 一度連絡を入れてみようか。それとももう少し待ってみるべきか。

「杉野さん!」

 ああ、やっと来てくれた────。美帆は安心して顔を上げた。

 だが、そこにいたのは滝川ではない。津川だった。

「え……っ津川さん?!」

 津川は走ってきたのかぜえぜえ言いながら荒い呼吸を繰り返す。全力疾走でもしたかのようだ。

「……滝川さんと、待ち合わせしてたんやろ」

「え、ええ……」

「仕事が長引いて行けそうにないんやと」

「え、でも……どうして津川さんが?」

「仕事で行ったら偶然会ってん。そんで、伝言頼まれたんや」

 ────本当? でも滝川さんが嘘をつくはずないし……。

 というか、津川は滝川と会ったのだろうか。同じ顔の人間がいて、滝川は驚いたのではないだろうか。

「……滝川さんと会ったんですよね。驚いてませんでしたか?」

「あ、ああ……せやな」

「津川さんと滝川さん、もしかしてご親戚とかなんですか?」

「まぁ……実はな。向こうは俺のことあんま知らんと思うけど。俺も顔ぐらいしか知らんし」

 もしかして仲が悪いのだろうか。それか遠い親戚なら付き合いがないのかもしれない。こんなところで会って滝川も驚いたことだろう。

「そうですか……分かりました。わざわざすみません。じゃあ、お疲れ様で────」

「ちょっと待ってや、もう帰るん」

「え? はい」

「せっかく待ってたんやから、もったいないやろ。俺が代わるわ」

「え?」

 そんなピッチャー交代みたいに言われても困る。待っていたのは滝川なのだ。

「いや、でもそんな急に……」

「俺もここまで来てすぐ帰るのも嫌やから。それに杉野サンも映画見たかったんちゃうの」

「え、なんで映画見にいくって知ってるんですか」

「た、滝川から聞いてん。な、ええやろ? 代わりに俺が奢るわ」

 映画は見たかった。確かにこのまま帰るとなんだかもったいない。だが、津川と映画なんてなんだか変な感じだ。

 ────本当に変な人。私のこと男漁りとか言ってたくせに。

 津川はわざわざ伝達役を頼まれてくれたわけだから、このまま返すと失礼だ。一度くらい、一緒に映画を見てもいいかもしれない。

「……分かりました。じゃあ、一緒に行きましょう」

 返事すると、津川は嬉しそうに笑った。それを見ると、腹立たしい気持ちは不思議と綺麗に治った。
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