とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
「プリプリ怒っている女」イコール私。美帆の頭の中で方程式が組み立てられる。

 頭の中は混乱の嵐だ。いろんなものを通り越して真っ白になった。言葉が出ない。何を言えばいいのだろう。

 これはまさか、津川が自分のことが好きということだろうか。本当に?

「……なんか言ってや」

「な、なんか」

「あんなぁ。そんな典型的なボケ返すなや。もっとなんかあるやろ」

 なんか。それ以外にあるだろうか。だって理解できない。津川は自分のことなど興味ないと思っていたのだから。からかっているだけだと疑わなかった。期待はしていたが、信じられなかった。

「え、あの……えっと……」

「とりあえず、座って食え。これ全部俺に食わす気か」

 テーブルの上に運ばれた食事を指差し、津川が睨む。

 確かにこの量を津川一人に食べさせるのはちょっと気の毒だ。美帆は仕方なく言われるまま箸を握った。

 シーザーサラダに口をつける。だが、味がしない。緊張と混乱でどこを見たらいいかも分からない。

 津川の箸が唐揚げに伸びる。口に運ばれる。一連の動作を眺めながら、何もなくなったはずの口の中のものを飲み込んだ。

「今日はドラマ見んでええの」

「ろ……録画してますから」

「ふぅん」

 そっけない返事の後、津川はまたおかずを食した。美帆も唐揚げを一つ食べた。

 なんだろう。この雰囲気は。

 津川は本当に自分のことが好きなのだろうか。いや、早合点してはいけない。ただ気になると言われただけだ。イコール好きではない。

 だが、津川は視線が合うたび避けるようにあちこちキョロキョロさせて動揺してしているのが丸分かりだ。

 もしそうなら、ちゃんと言葉で聞きたい。確信が欲しい。

 美帆はカマをかけてみることにした。

「……私の好きな人、どんな人だと思いますか?」

 津川の眉がぴくりと動く。眉間に皺が寄る。

「……どんな奴なん」

「変な人です」

「……はぁ?」

「変だし、いつも意味がわからないことばかり言います。失礼だし、勝手なことばかり言って人を困らせる天才みたいな人です」

「なんやねんそれ。そんなん俺に対する嫌味やんか……」

 ────半分は、嫌味ね。

 だが、津川の表情が変わった。うまくひっかかってくれただろうか。彼も少しは自分のことが失礼だという自覚があるらしい。

 だがこれ以上は言わない。自分から言う勇気はない。今はただ津川の反応が見たい。本当に《《そう》》なのかどうか。

 津川の表情はどんどん変わっていく。見ている方は楽しいが、津川はそれどころではないようだ。だが、美帆の方もそれほど余裕ぶってはいられなかった。

「……誤解やってんな?」

「だから、そう言ったじゃないですか」

「もう受付には戻ってこおへんのかと思ったやんか」

「そんなわけないじゃないですか。今は手伝ってるだけです。青葉さんが育休取ったら本格的にあっちに行きますけど、別に移動するわけじゃありません」

「そんならええわ」

 津川は何を思ったのだろう。二人ともソワソワして落ち着きがない。時々話を挟みながら食事して、顔を見て、目を逸らして、会話の内容を探した。

「今度は」

 津川が唐突に言った。

「ちゃんと店探すわ。こんな適当なとこじゃなくて、杉野さんの好きそうなとこ」

「……別に、どこでも構いません」

「俺がおらんでも?」

「なんでそうなるんですか」

「じゃあ、おった方がええの」

 どうやら選択肢を誤ったようだ。津川を調子に乗らせてしまったらしい。

 挑発的なセリフに、美帆は困って「そうですね」なんて他人行事な返事を返してしまった。けれど後悔はなかった。津川が嬉しそうに笑っていたから。
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