とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 その数日後、社内で滝川と会った。あのメッセージ以来だから、本当に久しぶりだ。

 だが、美帆は気不味かった。突然のお別れ宣言をした後だ。滝川はきっと自分のことが嫌いになっただろう。顔も見たくないに違いない────。

 声を掛けるのを躊躇っていた美帆に、滝川は視線が合うと迷いなく近づいてきた。

「お疲れ様です。杉野さん」

「え? あ、はい……お疲れ様です」

 怒っていないのだろうか。滝川は笑顔だ。

「あの……滝川さん。その、あの時は失礼しました。突然あんなメッセージを送ってしまって……」

「いや、平気ですよ。気にしないでください」

「でも……」

「杉野さんは好きな人がいるんですよね?」

「は、はい……」

「その人のこと、どれぐらい好きなんですか?」

「えっ」

 滝川は相変わらずニコニコしている。文也と似た顔の人にそんなことを尋ねられると、なんだか本人に聞かれているみたいで恥ずかしい。

 なぜそんなことを聞くのか気になるが、振った手前、強くは言えなかった。

「とても……好きです」

 顔から火が出そうだ。文也に聞かれているみたいでどうにも直視できない。

「その人もきっと、杉野さんのことすごく好きだと思いますよ」

 滝川は意外なほど穏やかな顔をしていた。なんだか嬉しそうにすら見えた。彼は失恋したはずなのに、こんな顔をしているなんて実は大して好きではなかったのだろうか。

「俺のことは気にせず、頑張ってください。ただ、今まで通り話してもらえたら嬉しいですけど」

「は、はい。もちろんです」

 滝川は文也からなにも聞いていないのだろうか。自分の親戚と付き合っていると知ったらどう思うだろう。二人が知り合いである以上、その事実を知る日はいつか来る。

 なんだか気がかりだが、滝川の性格なら事実を知ったとしても何もしないかもしれない。

 ────なんだ。私が気にし過ぎてただけだったんだ。



 業務が滞りなく終わり、美帆は受付のパソコンの電源を落とした。

 あとは着替えて自宅に戻るだけだ。家に帰ったらドラマを見ようと思っていた。

「美帆さん、今日私デートなんで《《巻き》》で帰りますね!」

 なんだか慌てた様子で詩音が言った。それは大変なことだ。美帆も釣られて慌て気味に支度を始めた。

「ご飯行くの?」

「そうなんです。今日は彼氏の誕生日なのでちょっといいところにご飯に行こうかなと」

「いいね。なんだか楽しそう」

「美帆さんもデートに誘ってみたらどうです?」

「うーん、向こうが忙しいみたいだから……」

「あ」

 詩音が全く違う方向を見て口を開ける。なんだろう、と思って詩音の視線が向く方────エントランスの方に振り返った。美帆も続いて「あ」と口を開けた。

「お疲れさん」

「文也さん……!」

 そこにいたのは文也だった。仕事帰りだろうか。突然で驚いた。事前の連絡もなかったから余計にだ。

「どうして……お仕事じゃないんですか」

「ちょっと、美帆の顔が見たくなって」

 驚く美帆の後ろで詩音がキャーキャー黄色い声をあげている。台詞は最高だが美帆は呆気に取られてそれどころではない。

「もう終わり?」

「あ、はい。もう終わるところです」

「待ってていい?」

「はい……」

 突然のことで混乱したまま、美帆はぼんやりと片付けを終えてロッカーへ向かった。

 着替えていると、詩音が楽しそうに話し掛けてきた。

「美帆さんのこと迎えにきてくれたんですかね。優しいですね〜っ」

「さ、さあ……どうだろうね」

「お互いデート頑張りましょう!」

 デートに誘いにきたのだろうか。仕事がしばらく忙しいと聞いていたが、余裕ができたのかもしれない。

 着替えてロビーに行くと、文也はソファに座って待っていた。

「お待たせしてすみません」

「ええよ。俺が勝手に来てんから」

「お仕事は大丈夫なんですか?」

「急ぎの分は片付けてきたから。予定ないなら一緒に飯でもどうかと思ってんけど……」

「いいですね。行きましょうか」

「ラーメン食べに行かん?」

「ラーメン食べたいんですか?」

「好きって言ってたやろ?」

 美帆はふと、疑問に思った。

 ────文也さんにそんなこと言ったっけ。ううん、言ったのは滝川さんにで……。

 一緒にラーメンを食べに行ったのは滝川の方だ。だが、滝川と二人でラーメンを食べた話をしたら文也は気分が悪いかもしれない。

 何かの拍子に喋ったのかもしれない。色々話をしたから忘れているのだろう。

「そうですね。ラーメンにしましょうか」

「醤油かあご出汁、どっちがいい?」

「……じゃあ、あご出汁で」

 頭の奥で何かが引っかかった。だが、言葉には出さなかった。

 自分の勘違いだ。文也と滝川が似ているから、喋ったことを混同しているのだろう。
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