目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
9.反撃~!
「──これはこれは珍しいお客様だ。どうぞこちらへ」

 目許を覆い隠す仮面越しに、同じく黒い仮面を着けた男が恭しく手を差し出す。その手を無視して歩を進めれば、後を追わせぬよう黒髪の少年が間に入った。

「今日はただの見学ですので、過度な接触は控えてくださいね」

 茶目っ気のある口調ながら、懐に忍ばせたナイフをちらつかせる。少年が只者ではないことを悟った男は、小さく舌を打っては渋々と引き下がっていった。


 暗く淀んだ空気が充満したこの館では、第二王子派に属するファーブ伯爵が主催するサロンが開かれていた。限られた者だけが招待状を送られ、特別なもてなしが為されるという噂は耳にしたことがあったが──これは俗にいう裏サロンだろう。

 ローレント嬢の手帳──決定版リシェルの夜会ノート──に記された「よく分からない雑草を鑑賞する会の会長」を解読した結果、恐らくこの裏サロンではファーブ伯爵が違法薬物を売り出しているのではないか、という推測が為された。

「凄いですね、ほんとに当たりだなんて」

 護衛として付いてきたクロムが、感心したように呟く。
 ローレント嬢は過去に裏サロンの招待状をファーブ伯爵から貰ったが、「雑草を見るのはちょっと興味がありませんわね」と言葉通りに受け取ってしまったので、ここには一度も来たことがないと言う。
 彼女は頭が悪いと自分を卑下する癖があるが、傍で見ている分にはただ素直が過ぎるだけだろう。
 その性格のおかげで、王子の身分では絶対に入れなかった裏サロンに、こうして足を踏み入れることが出来ているわけで。
 ──薄暗いホールに集まった男女が、各々テーブルに散り始める。中には早速、怪しげな粉を炙る者までいた。
 漂う匂いを嗅がぬよう口元をハンカチで押さえつつ、俺はクロムに耳打ちをしたのだった。

「……十分だ。突入させろ」
「御意に」

 クロムが心なしか楽しそうにしているのは、可憐な令嬢に命令されるのは初めてだからと先程本人が言っていた。
 一度で良いから気の強い女主人に使い走りにされてみたかったなどと饒舌に語り出したので、早々にその話は切り上げた。まだ十代半ばだというのに、いろいろと拗らせすぎだお前は。
 下らんことを考えていたとき、静かな館に大勢の足音が近づく。
 どうやら到着したようだ。

「──全員その場に平伏せよ!」

 扉を破って現れた騎士たちに、招待客がどよめく。ついで悲鳴や怒鳴り声が上がった。

「な……蒼鷲の騎士団!?」
「何故この場所が」
「ちょっとどういうことです伯爵!!」

 阿鼻叫喚の様を一瞥するに留め、俺は足早にその場を後にしたのだった。


 ローレント嬢の手帳には社交界についての情報が詰まっているのだが、如何せん彼女の知識が追い付かず、耳にした噂が何を示しているのかまでは曖昧だった。
 ゆえに俺とセイラムで逐一、そのふわふわとしたメモ書きを解読することになったのだが──。

 先日「トルシュ様は摘まみ食いが激しい?」を紐解いたら、トルシュ侯爵が王宮や貴族の屋敷にある芸術品を盗んだ上、勝手に売り飛ばしていたことが判明。ちなみにローレント嬢はこの話を、肉付きの良い侯爵への悪口だと思っていたらしい。

 次に「ボーゼ様は野鳥がご趣味(餌やりのこと?)」というメモ。意味が分からなかったので調べてみると、野鳥ではなく夜蝶という隠語で呼ばれる小規模の闇オークションが浮上した。これによりボーゼ公爵が人身売買に手を出していることが判明。

 他にも領民への不当な懲罰、横領、時代錯誤な奴隷所持……第二王子派の貴族が抱える後ろ暗い事情がごろごろ出てきた。
 解読するうちに段々と、ローレント嬢の手帳が暗号化された機密文書のごとく価値を上げていったのは言うまでもない。

『リシェル様、この大変お可愛らしくて素晴らしい手帳の写しを頂けますか。王室の貴婦人御用達の香水と交換で』
『まぁ! よくってよ!』

 セイラムが珍しく下手に出たのも仕方ないことだろう。それほど彼女が集めた情報は貴重かつ、明るみに出れば一発で当事者を地獄に導くような内容も少なくない。

 貴族らは世間知らずなローレント嬢を、仲間内に引っ張り込もうと様々な話を振っていたのだろうが……残念ながら彼女が社交界で頑張っていたのは、ただ条件の良い婚約者を探すためだった。
 加えて持ち前の鈍さ、いや純粋さが起因し、何か怪しい話を仄めかされても意図が理解できなかったのだろう。無知でありながらも着々と社交界の裏事情をも手繰り寄せてしまう技は、天性のものと言ってよいかもしれない。
 ついでに言えば、最も近くにいたはずのエゼルバートは彼女を侮るあまり、この貴重な情報を手に入れることが出来なかったわけだ。

 ──彼女が隠し持っていた強力な「武器」を。

「うーん……鬼に金棒、ならぬゴリラに弩でも持たせたような感じですよね、今」
「何の話だ」
「あ、僕の素直な感想です。お気になさらず」

 王宮へ戻る馬車へ乗り込みながら、クロムが笑って誤魔化す。その姿を後目に、俺は暫しの仮眠に意識を沈めた。
 帰ったら、またあの元気な娘が出迎えるのだろうか。初めは少々鬱陶しいとさえ思っていたはずだが、今や思い浮かべるだけで嫌でも肩から力が抜けてしまう。
 それは単なる慣れなのか、はたまた。
 うっすらと開いた瞼の隙間から、生白く華奢な手を見遣る。

 ──あと少しか。

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