とある企業の恋愛事情 -ある社長秘書とコンビニ店員の場合-
 今日はいつも座るベンチが埋まっていて、綾芽からもう少し歩いた場所にあるベンチに座っているとメッセージが来た。

 いつもの場所から小さな池のほうに少し歩くと、歩道の脇に等間隔に置かれたベンチがある。綾芽はそこに座っていた。

「まさか埋まってるなんてな」

「でも、こっちの方が木陰があって気持ちいいですよ」

 確かに、いつも座っている席は周りに気もなにもないから日差しがガンガンに当たる場所だ。それに比べてここは池をぐるりと囲むように木が植えられていてまだ日差しが遮られる。

 今日もいつもと同じように食事しながらとりとめもない話をした。

 最近、綾芽は夜のバイトが新しい現場になってそこそこ忙しいらしい。俊介が大丈夫かと尋ねると、いつものことだから慣れていると答えた。

「立花さんは奨学金のお金を返したらどうするんだ?」

 以前、綾芽から学生の時に借りていた奨学金を返すために働いているのだと聞いた。日夜働かなくてはならないということは、相当な金額なのだろう。ましてや彼女は親がいない。負担は軽いものではないはずだ。

 もしそれらが全て返し終えれば、彼女は働き詰めの生活から解放されるのではないだろうか。

「いつになるかわかりませんけど……就きたい仕事があるんです」

「へえ、なんだ?」

「……笑いませんか?」

「え?」

「子供っぽいってよく言われるので」

「笑わないよ。まだ聞いてないからなんとも言えないけど……」

「……お花屋さんです」

「お花屋さん?」

 それは持っても見ない答えだった。綾芽が花屋に似合わないというわけではない。彼女とそれが結びつかなかっただけだ。彼女ならもっと堅実的な、弁護士や税理士の方がイメージに合いそうだと思った。

「ずっといいなって思ってる仕事なんです」

「でも、じゃあなんで花屋で働かないんだ? 掛け持ちできないからとか?」

「お花屋さんってすごく忙しいんです。朝は早いし、夜も遅いんです。それに加えてそこまで給料が高くないので、お金を返しながら働くのは難しくて……」

「そうか……意外と厳しい仕事なんだな」

「本当は、どこかのお店に勤めながら勉強したいんですけど、こんな調子なのでそれも難しくて。でも、お金のことが落ち着いたらやりたいなって思います」

「それは……あとどれぐらいで返し終えるんだ?」

「それは────まだ、もうちょっと掛かると思います。でも全然返せない額ではないので大丈夫ですよ」

 ────本当にそうなのか?

 俊介は疑問に思った。奨学金を借りて学校に通ったことがないからわからないが、貸す側も明らかに返せないような金額を短期間で返せと言ってくることはないはずだ。

 綾芽の場合バイトだから難しいのだろうか。どこかの正社員にでもなればまだボーナスである程度返せそうな気もするが、綾芽の年だと初任給は知れている。それで一人暮らししながら金を返すのは難しいのかも知れない。藤宮コーポレーションぐらいの企業ならボーナスである程度返せるが、普通の企業はそこまで多くないはずだ。

 だが金の話につっ込んで聞くと不愉快なこともあるだろう。最初の食事の時と同じ過ちを犯すわけにはいかない。綾芽が喋ろうとしないのなら、それは聞かない方がいいのかもしれない。

「花屋になりたいってことは、立花さんは花が好きなのか?」

「それもありますけど、お花屋さんの空気感が好きなんです。あそこだけなんだか洗練されていて、知らない国に行ったみたいな気分になれるので」

「そうか……俺は花屋には仕事でしか行かないからな」

「お仕事で行くんですか?」

「取引先に花を送ることも多いんだよ。俺はよくわからないから、全部花屋の人に任せてるけどな。立花さんが詳しいなら、今度から相談しようかな」

「いえ……私も詳しいわけじゃないので。でも、そうですね……ちゃんと勉強してみようと思います」

「チャンスはいつ転がってるかわからないからな。いざって時のために勉強したり目を養っておいて損はないよ」

「青葉さん上司みたいですね」

「俺は一応上司になると思うよ。すごく遠い上司だけどな」

 そういうと綾芽はおかしそうにくすっと笑った。

 綾芽のためになにか出来るならいいのだが、生憎そういう仕事にツテはない。あったとしても藤宮本家のだから、ややこしい場所にいきなり素人の綾芽を放り込むわけにもいかなかった。

 だが、こういうことは自分よりも女の聖の方が詳しいかもしれない。聖は花にはかけらも興味がない人間だが、仕事となれば何か知っている可能性もある。
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