恋愛タイムカプセル
 花火大会の日はいつも地下鉄が混む。絶好の観覧スポットの最寄り駅が地下鉄だからだ。だから当日、夕方からは駅がほとんど機能しない。それに、地上もだ。

 分かっていたが、そこ以外に交通手段はなかった。

 私達は駅の七番出口で待ち合わせした。花火は夜七時からだ。今はまだ五時台なのに、もうすでに人が多い。

 浴衣を着た女性が通り過ぎていく。私はなんとなく羨ましい気持ちを堪えて姿勢良く見えるよう背を正した。

 一応、できる限りのお洒落はした。仕事帰りだからあまり派手な格好はできなかったが、色目の明るい服を選んで、髪もきちんとセットした。一番初めの時と同様、私はしっかりと身支度を整えた。

 ────まあ、だからって彼が可愛いって言ってくれるわけじゃないけどね。

 待ち合わせの五時半。彼は七番出口に現れた。

 彼はいつもと同じ冴えない格好だ。夏らしい薄手のベージュ色のシャツを着ていたが、相変わらず野暮ったく見える眼鏡は健在だし、髪もなんだか寝起きみたいにだらしない。

 まさにゲンナリといったところだろうか。私の気持ちは見事に右肩下がりになった。

 けれどこれは想定内だ。いきなり彼がおしゃれになるわけがない。

「ごめんね。急に誘っちゃって」

「いいよ、別に」

 けれど、おかげで私は緊張せずにすんだ。いや、していたが、気は楽になった。お祭りだからと言って特に気にする必要はない。いつもの通りに会話すればいいだけだ。

 私達は人の波に乗って花火が一番よく見えるという橋の近くに向かった。人が多いため交通規制がされているようだ。なかなか目的地にたどり着かない。

「すごい人だね……久しぶりに来たけど、相変わらずだなあ。春樹くんは来たことある?」

 私は、彼と交わしたメッセージのやり取りを思い出した。

 いくつかのやり取りの中、彼は「楽しみにしてる」と言った。その時私は舞い上がっていた。彼からそんな一言を聞くなんて、思っても見なかったから。

 現実の彼の表情は楽しそうではないけれど、ああして文章にしてくれたのだからちょっとはそう感じているはずだ。

「ないよ。人が多いところはそんなに好きじゃなかったから」

「あ……ごめん。じゃあ無理させちゃったね……」

「別に、今はそうじゃない。普段はってこと。こういう時は別にいいよ」

 彼は前を見ていたけれど、不意に視線を横にずらした。「花火まで時間があるから、何か買う?」と提案し、私は頷く。

 こういう時だから、屋台がたくさん並んでいる。小さい頃に行ったお祭りを思い出して私はついはしゃいでいた。

 胃袋の大きさは限られているから全部は買えないけれど、お祭り気分を味わうために何かそれらしいものでも買おうか。けれどいい大人が、りんご飴や綿菓子なんて買ったら彼に引かれてしまうだろうか。

「俺、たこ焼き買うけど篠塚さんどうする」

「あ……じゃあ、私も買う」

 青海苔なしで、と申し出て、私はたこ焼きを一つ買った。

 主食は必要だけど、それより甘いものの方に目がいってしまうのは私の食い意地が張っているからだろうか。これじゃ花より団子だが、せっかく来たからにはなにか買いたかった。なんとなく残念に思いながら袋を受け取った。

「ほか、なにか買う?」

「ううん、いい」

「さっき、あっちの屋台見てなかった」

 私は恥ずかしくなった。そんなにじろじろ見ていただろうか。

「俺、まだ買うから篠塚さんも買ってきたら」

「あ────うん」

 同じ場所で待ち合わせして、私は一旦彼と離れた。気を使わせてしまったようだ。彼は飲み物を買いに行った。

 私は今のうちに、とりんご飴を買った。大きい方は食べきれないだろうから小さい方にした。三百円を渡し、透明なポリ袋に入った姫りんご飴を受け取る。りんご飴は昔から変わらない。私が小さい時のままだ。

 元の位置に戻るとすでに彼が待っていた。私はごめん、と声を掛け再び見物客の列に戻る。

「お祭り来たら、りんご飴買いたくなるよね」

 彼は私が持っていた袋を見ていた。私は恥ずかしくなって俯いた。

「あんまり来ることないから、つい」

 言い訳がましく言うと、彼は笑った。

「わかる。綿飴とか牛串とか意味もなく買いたくなる」

「春樹くん、綿飴食べれるの?」

「食べれるよ。好きじゃないけど。まあでも、いつも大概食べる前に萎びて捨ててたけど」

「意外。甘いものは食べれないと思っってた」

「あんまり食べないけど嫌いじゃないよ。篠塚さんは、甘いもの好きそうだね」

「甘いもの食べたほうが頭がよく回るから────なんて、うん。昔から好きなの」

「昔、手作りのクッキー持ってきてなかった」
 
 私はギョッとした。それは高校の時の話だが、まさか彼が覚えているとは思わなかった。

 その時の記憶が不意に思い出される。まだ私が片思いをしていた時だった。

 私はいじらしく彼にクッキーを焼いた。もちろん、彼のためだなんて言うわけないが、《《友達にあげるついで》》と称して彼にそれをお裾分けした。

 一つづつきれいな袋に入れてラッピングしたあのクッキーは、彼の胃袋の中に収まったのだろうか。

 思い出すと恥ずかしい。好きな人のためにクッキーを作ったなんて、今だったら絶対にやらない。

「そうだっけ」

 私は適当に誤魔化し、列がまばらになってきたところで座ることを提案した。

 座るといってもベンチが用意されてるわけではない。植え込みの縁のレンガに座るのだ。普段ならこんなところ絶対に座らないが、周囲にいる見物客もそうしていたので抵抗はなかった。

 ガムが落ちていないか確かめ、安心して腰掛ける。

 私達は先ほど買ったたこ焼きを取り出し口に放り込んだ。懐かしい味だ。

 外食は多いのにこういうものを買う機会がないから学生の時以来だろうか。本当は青海苔が乗っていたほうが美味しいが、男性と食事する時に食べるのはリスキーだ。
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