わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)

07. 橘部長から逃げ出して

 会議室を出た私は、エレベーターホールで下ボタンを連打した。連打しても早く来るわけではないのはわかっていたけれど連打した。

 エレベーターは少し混みあっていたけど、体が小さいから会釈して乗せてもらう。宮燈さんは追ってこないとは思うけど、早くここから逃げ出したい。
 隣に立っている背の高い綺麗な女の人が書類を抱えているのを見て、社員さん達は真面目に仕事してるのに、私は何やってるんだろうと思った。

 仕事の邪魔して、あげく宮燈さんをぶん殴って。こんなんで春から社会人としてやっていけるのかな。……というか、私はここで働いていけるんだろうか。

 いや、仕事と私事は別問題だから一緒に考えちゃだめだ。私は私なりにやりたいことがあって商社を選んだ。仕事してたらきっと忘れてしまう。
 入社前に離婚してしまえば、きっと私たちの結婚は「無かったこと」にされるんだろう。社長と総務部の一部の社員さん以外は知らないから問題ない。私は「清川桜」として入社すればいいのだから。


 ゲートから出て、受付でネームプレートを返す。私の手が震えていたからか、受付の綺麗なお姉さんが少し心配そうな顔をしていた。警備員さんに頭を下げて通り過ぎようとしていたとき、後ろから私を呼ぶ声がした。

「桜!」

 心臓がびくっと震えた。名前を呼ばれて胸が苦しいなんて初めてだった。
 広いエントランスホールに宮燈さんの声がする。宮燈さんがあんな大声を出してるの初めてだと思う。真横の警備員さんも「常務?」と呟いていて、多分その場の全員が「桜って誰だ」と思っただろう。杉岡さんの「橘部長、ここではダメです!」と引きとめる声がして、振り返るのが恐ろしかった。私は知らないふりをしてエントランスを出た。

「桜、待ちなさい!」

 宮燈さんの声が聞こえるから、私は走った。
 丸の内の広い道路を渡って、東京駅へ。人にぶつからないように頑張って、東海道新幹線のホームを目指す。次に発車するのが、たまたま『のぞみ号博多行』だったので、自由席に飛び乗った。平日だったからか、比較的空いていたので窓際の席を選んで座った。
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