Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

 彼が知っている亡き夫のことや、バンドをしていた頃のアキフミの話をききたかったから。

「仕方がないですよ。そうでもしないときっと、わたしは孤独死していたと思うんです」
「それは……君が鏑木音鳴って名前でピアニストをしていたことと関係があるのかな」

 紡のぶれない視線に、わたしは素直に頷く。
 彼はわたしが元ピアニスト鏑木音鳴だってことを知っていながら、この一ヶ月、何もきいてこなかった。傍にアキフミがいたから、核心に迫れなかっただけかもしれないけれど。

「はい。わたしは父の形見のピアノを守るために、夫がいた軽井沢に隠居することにしました」
「隠居って、君まだ二十六歳だよね? 何人生悟っちゃってるの」
「悟っているわけじゃないです。いまの暮らしに満足していただけです」

 夫と暮らした三年間を思い出して、わたしは微笑う。
 穏やかに四季を過ごし、気ままにピアノを弾いて、心の傷を癒やした日々。
 ただひたすらやさしかったぬるま湯のような日々。

「満足していた、ね。いまは違うんだ」
「……そりゃあ、アキフミや紡さんが乗り込んできましたから」
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