Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
monologue,1

調律師になったシューベルト《1》




 ポーン、ポン、と軽やかに鍵盤を叩きながら、俺は「終わりましたよ」と添田に告げる。
 軽井沢に古くからある別荘地では、ピアノを所有している富豪も多い。ただ、別荘に定住していない所有者も多いため、お飾りになって埃を被ったまま、放置されている姿もよく見かけられる。
 だが、この北軽井沢の別荘地“星月夜のまほろば”の総合管理責任者だという須磨寺喜一が所有しているピアノはどれも状態が良く、定期調律でおおきな問題が発覚することもなかった。

 中肉中背の初老の紳士は数年前までここ軽井沢から新幹線通勤で都内にある音楽大学の非常勤講師の仕事もしていたのだときく。持病を持ちながらもバイタリティにあふれる彼が自慢なのだろう、添田が誇らしそうに教えてくれた。

 須磨寺の土地はもともと喜一の兄が管理していて、弟は芸大でピアノ三昧の日々を送っていたという。それが、兄の急死で事業を引き継ぐことになり、軽井沢の別荘管理をしつつ、都内でピアニストの卵たちにピアノ指導を行うようになったのだと。
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