スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない
2章

彼が知らない世界


「たまちゃんのバカー!」

 いつものようにIMPERIALのカウンターで大好きな甘いカクテルを口に運ぶ。けれどその合間に文句を言うことも忘れない。

 二か月ほど前、陽芽子はたまたまここで出会った男性に失恋の傷を慰められた。甘い言葉と優しい指遣いで労られたおかげで、大きく沈み込まずに立ち直ることができた。半年も付き合った人に一方的にフラれたのに、思ったよりも傷は浅く済んだ。

 しかし問題はその前。
 陽芽子はその男性が、次年度から自社の副社長に就任する人物であることを知らなかった。もし知っていたら、お酒と空気に流されてはるか雲の上の上司と一夜を共にすることなどなかったのに。

「だから、ごめんって」

 目の前で笑うバーテンダーの環は、お互いが同じ企業に所属する者同士であることを最初から把握していたらしい。知っていたなら、止めて欲しかったのに。

 後から聞いた話によると、環は二人が店を出る瞬間は目撃していなかったとのこと。でもファーストコンタクトの時点で教えてくれれば、陽芽子も自分で判断出来たのに! と思わずにはいられない。

 頬に空気をためてじっと環を見つめると、悪びれもなく肩を竦められた。やはり面白がられているようだ。

「まぁ、もういいよ。しょうがないから許してあげる。それよりたまちゃん、私の話聞いてくれる?」

 陽芽子はもう、あの夜のことは忘れようと決めていた。幸い副社長である啓五には、呼び出しを受けた日を最後に一度も遭遇していない。立場上始業から終業までほとんど部署内に留まっている陽芽子には、社内で偶然会う機会もない。

 だから不満を口にし続けていても仕方がない。それよりも、陽芽子にはもっと大事な事がある。

「私、真面目に婚活しようと思うんだ」

 バーカウンターの向こう側にいる環に宣言すると、グラスを磨いていた環の動きがぴたりと停止した。

「同僚がパンフレットくれたの」
「何の?」
「結婚相談所」
「けっ……こん、相談所ぉ?」
「うん」
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