おじさんには恋なんて出来ない
エピローグ
 スタジオでのリハーサルを終え、美夜は休憩がてら次一緒に仕事をするバンドメンバーとおしゃべりしていた。喉がカラカラになってペットボトルの中身を口の中に飲み込んだ。

 本番のライブまであと一週間ほどだ。この調子ながら特に心配することもないだろうと、安心していた。

 おしゃべりしていると、不意に美夜のスマホが鳴った。昨日セットしていたアラームだ。

 美夜はもうそんな時間か、と慌てて愛用しているKORGの電子ピアノを鞄に詰め込んでいく。

「あ、そういえば用事あるんだっけ」

「うん。ストリート行くの」

「ミヤちゃんも物好きだよねえ。売れっ子なのにいまだにストリートするなんてさ」

「儲からないじゃん。インディーズならまだしも……」

 バンドメンバーのうちの二人が、感心するように、呆れたように言った。
 
「だって、会えるかもしれないから」

 よいしょ、と鞄を背負う。「今日もストリートに出かけます」とSNSに呟いて、美夜は笑ってスタジオを後にした。

 売れっ子なんて言われているが、それは 『MIYA』自身のことではない。アーティストとしての道は切り開けてきたが、所詮売れっ子のおこぼれに預かるおまけのような存在だ。

 以前に比べMIYAというアーティストそのものが認知されてきたと言っても、誇れるほどではない。

 それでも、美夜はここ数年で自信をつけていた。多くの人の前でライブもしたし、街で歩いていると声をかけられることも増えた。ピアニストとしての自分を好きになってくれる客も増えた。やっと自分が目指していた、ピアノ一本で食べていける人間になれた。

 だからストリートピアノを弾きに行くのは、売れたいとか、注目を浴びたいからではない。

 どこかで聞いているかもしれない人に届いて欲しいからだ。



 目的場所には着いたが、時刻が夕方だからか、ピアノの前にはすでに人が座っていた。この時間帯は帰宅ラッシュで人が多いし、その分争奪戦になりがちだ。

 有難いことに、ストリートピアノが流行っているおかげでこうして遠慮なく演奏できるのだが、人気なおかげで行った時間に先客がいることは珍しくなかった。

 今弾いている男性は、かなり上手な人だ。界隈で見たことがないからアマチュアなのだろうが、聞いてる人にとっては関係ない。聞いていいと思ったらそれが全てだ。

 美夜が近くでい聞いていると、同じく近くで聞いていた女性二人が声をかけてきた。

「あの、もしかしてMIYAさんですか?」

「あ、はい」

「この後ここで弾きます?」

「はい。誰か待ってなければ、弾こうと思ってます」

 女性二人はキャッキャとはしゃいでいる。自分の動画を見てくれている人だろうか、と美夜は少し照れた。

 やがて男性が二曲ほど弾いた後、席を立った。美夜は他に誰も弾こうとしていないことを確認し、ピアノに近付いた。

 何度も弾いたことがあるピアノだから勝手は分かっている。椅子に座り、演奏を始めた。

 ストリートピアノを弾くときは気を付けていることがある。できるだけみんなが知っている曲を弾くことだ。通行人は大概自分のことを知らない。知らない曲なんて弾いても盛り上がらないし、耳馴染みのない曲は飽きてしまう。

 それでも、美夜はストリートに行くと必ず一曲だけ自分の曲を弾いた。

 心地よいメロディーは幸せな記憶を思い出すように。穏やかだった人をイメージしながら。この曲を聴かせたい人に向けて。

 今日はどんなことがあったの?

 誰と会ったの?

 あなたは楽しかった?

 今日の終わり。あなたの一日が少しでも素晴らしいものになりますように。そんな思いを込めてピアノを弾きます。

 ────辰美さん。届いてますか?

 演奏が終わると拍手がパラパラと聞こえた。美夜がその場でお辞儀をして、次の曲は何にしようかと考えていたときだった。

「……あの」

 ピアノに向かう美夜に、男性が話し掛けてきた。

 美夜は顔を向けた瞬間、呼吸が止まった。

「さっき弾いていた曲は……なんていう曲ですか」

 スーツ姿の男性は、どこかぎこちない様子で笑みを浮かべていた。懐かしい穏やかな声と柔らかい物腰はそのままに、少し、歳をとったように見えた。

 美夜は弾む動悸を抑え、思わず溢れそうになる涙を堪え、答えた。

 ────変わらぬ愛を。

 その曲を贈った人に向けて、笑顔で答えた。



      完
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