おじさんには恋なんて出来ない
 ────どうしてこんなことになったんだ。

 辰美は考えた。結婚してから七年間使ってきたダイニングテーブルに着き、雪美と向かい合った。雪美はずっと沈黙したままだ。

 しばらく時間が過ぎ、ようやく辰美は口を開いた。

「……実家に帰るか?」

 それは文字通りの意味だった。雪美の実家は電車で三十分ほどの場所にあった。帰ろうと思えばすぐに帰れる。

 だが、出ていけという意味ではない。雪美もこのまま家にはいづらいだろうから、その方がいいと思ったのだ。

 雪美は意味がわからない、とでもいうように眉を顰めた。

「私に出ていって欲しいってこと?」

「そうじゃない。ただ、君も俺も、一旦離れた方がいいと思ったんだ」

「同じじゃない」

 なぜか雪美は怒っていた。この場合逆はあるが、なぜ浮気した側の雪美が怒るのだろうか。辰美は全く理解できなかった。

「君は俺といたくないんだろう。だから浮気したんじゃないのか」

「元はと言えなあなたが……ッ」雪美はわなわなと肩を震わせた。

 浮気はされる側にもする側にも原因がある。辰美はそう考えていた。だから雪美一人が悪いとは思っていない。

 就職してから仕事一筋でやって来た。おかげで会社ではそれなりのポジションに就き、順風満帆なビジネスライフを送っている。

 雪美とは友人の紹介で出会い、結婚した。当時雪美からアプローチしてきて、それが結果的に結婚に繋がった。

 結婚後雪美は専業主婦になり、家事や炊事を全般的にやってくれた。雪美の料理は美味しかったし、気立もよく、夫を立てる妻に文句などひとつもなかった。

 だから自分も雪美に対し精一杯できる事はして来たつもりだ。誕生日や記念日は旅行や食事に連れていったり、欲しい物も買った。雪美は贅沢する女性ではなかったから、細やかなプレゼントでも喜んでくれていると思っていた。

 唯一残念だったのが子供ができなかったことだ。二人とも子供を望んでいたが、なかなか子宝には恵まれなかった。

 それ以外で不自由をさせたつもりはない。だが、雪美は不満だったのだろう。

「私浮気したのよ!? それなのになんでそんな態度をとっていられるのッ」

「……責めたところで何も変わらないだろう」

「あなたはいつもそう! 私に無関心で、愛してくれてなんかなかった! 本音を言ってよ! 私とやっと離れられるってせいせいしてるんでしょ!」

 雪美は突然怒鳴り始めた。それは見たことのない妻の姿だった。

 しかし、雪美が怒鳴れば怒鳴るほど、辰美は心の中が無になった。一体どうリアクションを取ればいいというのだろう。

 正直なところ、まだ現実を実感出来ていない。このような事態はまるで想像していなかった。自分とは無縁のものだと思っていた。

 雪美は一体いつから浮気していたのだろう。あの男性とはどこで知り合ったのか。一体何度ああして体を重ねて来たのか。

 一度思考を動かすと止めどなく疑問が湧き始める。そして、とてつもない悲しみが襲った。

「……すまない。今は話せそうにない。悪いが、実家に帰ってくれ。今後のことについてはまた連絡する」

 雪美は静かに立ち上がり、荷物をまとめ始めた。すんなり従ってくれたことに安心したが、雪美は部屋を出て行く直前「またそうやって逃げるのね」と捨て台詞を吐いた。

 ようやく静かな部屋になったが、辰美はどっと疲れて、しばらく何も出来なかった。キッチンカウンターの上には先ほど百貨店で買った惣菜やデザートが置かれたままだ。だが、食欲は消え失せていた。
< 2 / 119 >

この作品をシェア

pagetop