訳あり令嬢は次期公爵様からの溺愛とプロポーズから逃げ出したい
アマッドは気を聞かせて三人でのボート遊びを提案してくれたが、そろそろエルセもアマッドとの二人きりの空間に慣れたほうがいいだろう。
「わたしのことは気にしないで。ちかくのベンチに座って待っているわ」
「でも」
「アマッド、エルセのことをお願いね」
にこりと笑うとアマッドは少し逡巡したが「エルセのこと少し借りるよ」と言って彼女に向けて背を差し出す。
エルセは尚も迷うそぶりを見せるのでフューレアはいってらっしゃいとばかりに元気よく手を振った。
ボートはバランスを崩すと横転してしまうから、アマッドだってエルセにそうもおかしなことはしないだろう。
いや、フューレアは彼が紳士だと信じている。二人きりになったからといって、こんなにも良い天気の青い空の下でエルセに襲い掛かったりはしないだろう。
人口の湖の上には少なくないボートが浮かんでいるわけだし。
公園には運河も流れている。物を運ぶための幅広の運河ではなく、ボート遊びをするための運河だ。大きな運河の支流であり、人口の湖(池と呼んだ方がしっくりくる大きさなのだが)に注がれる運河沿いには等間隔にベンチが設えられている。
フューレアはギルフォードとの待ち合わせ場所からほど近いベンチに座ることにした。
のんびりとした良い天気でこの季節が一番に好きだと思う。北に位置するロルテームの夏は短い。冬になると日の出が遅くなり日の入りも格段に速くなる。夜の長いロルテームでは昔から室内を華やかだが、やはりこの季節の外は眩しくてきらきらと輝いている。
ロルテームに帰ってきて水のある風景をこんなにも身近に感じることに気が付いた。
目の前を流れる運河がフューレアにとっては日常なのだ。
冬になるとハレ湖からの風は冷たくて凍り付くようだけれど、雪が舞う湖も空を覆う分厚い雲も、それがフューレアのなかでは日常の一部になっている。
いま、故国へ帰れと言われたら困惑しかないだろう。リューベルン語はまだ話すことはできるが、語彙力に自信はない。ずっとロルテーム語で暮らしてきたから眠ったときに見る夢も心の中での考え事だってこの言語だ。
そのような環境になるくらいの長い年月をロルテームで過ごしてきた。とくに十代前半からの数年というのは大きい。
この国が好き。この街が好き。ここにはギルフォードがいる。
彼のことを思うと自然と頬がほころんでしまう。
この気持ちに嘘はつけない。彼の過剰な愛情表現に未だについていけないのに、言葉にしてくれる彼の気持ちがうそ偽りがないものだと信じられるから、フューレアの心は昨日よりも今日の方が余計に彼へと傾いていく。
「お母様は、わたしが結婚をすると喜んでくれる? わたしの花嫁姿を楽しみにしていてくれた?」
フューレアはふいに思い立って、いつも持ち歩いているメダイユを取り出した。
本当の母から持たされた、彼らと己を繋ぐ唯一のもの。フューレアがまだ赤ん坊の頃、洗礼式のときに一緒に作られたそれは金色の楕円形で神の使徒のひとりの横顔が彫られてある。裏にはフィウアレア・モテゲルニーの名前。
己の由来を示すただ一つの証だ。どこにいてもフューレアが両親の、モルテゲルニー家の娘であることを教えてくれる。
「わたしのことは気にしないで。ちかくのベンチに座って待っているわ」
「でも」
「アマッド、エルセのことをお願いね」
にこりと笑うとアマッドは少し逡巡したが「エルセのこと少し借りるよ」と言って彼女に向けて背を差し出す。
エルセは尚も迷うそぶりを見せるのでフューレアはいってらっしゃいとばかりに元気よく手を振った。
ボートはバランスを崩すと横転してしまうから、アマッドだってエルセにそうもおかしなことはしないだろう。
いや、フューレアは彼が紳士だと信じている。二人きりになったからといって、こんなにも良い天気の青い空の下でエルセに襲い掛かったりはしないだろう。
人口の湖の上には少なくないボートが浮かんでいるわけだし。
公園には運河も流れている。物を運ぶための幅広の運河ではなく、ボート遊びをするための運河だ。大きな運河の支流であり、人口の湖(池と呼んだ方がしっくりくる大きさなのだが)に注がれる運河沿いには等間隔にベンチが設えられている。
フューレアはギルフォードとの待ち合わせ場所からほど近いベンチに座ることにした。
のんびりとした良い天気でこの季節が一番に好きだと思う。北に位置するロルテームの夏は短い。冬になると日の出が遅くなり日の入りも格段に速くなる。夜の長いロルテームでは昔から室内を華やかだが、やはりこの季節の外は眩しくてきらきらと輝いている。
ロルテームに帰ってきて水のある風景をこんなにも身近に感じることに気が付いた。
目の前を流れる運河がフューレアにとっては日常なのだ。
冬になるとハレ湖からの風は冷たくて凍り付くようだけれど、雪が舞う湖も空を覆う分厚い雲も、それがフューレアのなかでは日常の一部になっている。
いま、故国へ帰れと言われたら困惑しかないだろう。リューベルン語はまだ話すことはできるが、語彙力に自信はない。ずっとロルテーム語で暮らしてきたから眠ったときに見る夢も心の中での考え事だってこの言語だ。
そのような環境になるくらいの長い年月をロルテームで過ごしてきた。とくに十代前半からの数年というのは大きい。
この国が好き。この街が好き。ここにはギルフォードがいる。
彼のことを思うと自然と頬がほころんでしまう。
この気持ちに嘘はつけない。彼の過剰な愛情表現に未だについていけないのに、言葉にしてくれる彼の気持ちがうそ偽りがないものだと信じられるから、フューレアの心は昨日よりも今日の方が余計に彼へと傾いていく。
「お母様は、わたしが結婚をすると喜んでくれる? わたしの花嫁姿を楽しみにしていてくれた?」
フューレアはふいに思い立って、いつも持ち歩いているメダイユを取り出した。
本当の母から持たされた、彼らと己を繋ぐ唯一のもの。フューレアがまだ赤ん坊の頃、洗礼式のときに一緒に作られたそれは金色の楕円形で神の使徒のひとりの横顔が彫られてある。裏にはフィウアレア・モテゲルニーの名前。
己の由来を示すただ一つの証だ。どこにいてもフューレアが両親の、モルテゲルニー家の娘であることを教えてくれる。