ふたつ名の令嬢と龍の託宣
 不意に寝室の扉が叩かれる。びくりと体を震わせると、「アンネマリー様?」と女官のルイーズの声がした。

「ルイーズ?」

 見知った者の声に安堵する。

「そちらへ行ってもよろしいですか?」
「ええ、大丈夫よ」

 静かに寝室に入ってきたルイーズは、乱れた格好のまま寝台の縁に腰かけるアンネマリーの姿を認めると、目じりのしわを深めてやさしく微笑んだ。

「よく頑張られましたね」

 アンネマリーの目の前で片膝をつき、そっとその手をとった。(いた)わるように言われて、自分がしたことは果たして褒められるようなことだったのだろうかと、アンネマリーはただ頬を赤くした。

「お体はおつらいでしょうが、あまり時間がございません。無理なようでも、まずは少しでも何かお召し上がりになってください。その後身支度を済ませて、星読みの間に戻ります」

 ルイーズの合図とともに、若い女官がふたり寝室の中へと入ってくる。

「この者たちはこれからアンネマリー様につく女官です。口も堅く信頼置ける者ですので、どうかご安心ください」

 ふたりの女官が静かに頭を垂れる。ルイーズの言葉に頷くと、アンネマリーは足に力を入れて、なんとか自力で立ち上がった。

 身支度が整って、廊下へと出る扉の前で、アンネマリーは一度躊躇(ちゅうちょ)した。

「ルイーズ、本当にここから帰って大丈夫なのかしら……」

 王太子の部屋の前には常に近衛騎士が立っている。入れた覚えのない人間がいきなり中から出てきたら、それはもう驚かれることだろう。

「アンネマリー様は王太子妃となられるお方。堂々と戻ればよろしいのです」

 そうきっぱりと言われ、アンネマリーは覚悟を決めた。ハインリヒの横に並ぶ者として、自分に迷いがあってはならないのだ。

 アンネマリーが力強く頷くと、ルイーズがその扉に手をかけた。顎を引き、ぐっと背筋を伸ばす。
 優雅な足取りで王太子の部屋を後にする。扉を過ぎるところで、礼を取りながらも驚愕したように大口を開けている近衛の騎士が目に入る。アンネマリーはその騎士に微笑みながら「ご苦労様」と言い残して、ゆっくりとその横を通り過ぎた。

 赤面する近衛の騎士を横目に、若い女官がそのあとを続く。堂々と離宮へと帰っていくアンネマリー一行の話は、瞬く間に王城内に広まった。

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