ふたつ名の令嬢と龍の託宣
【第8話 風吹くとき】
「申し訳ございません、リーゼロッテ様……」
馬車の扉が開かれると、強い春風が吹き込んだ。口元にハンカチを当て、よろめきながらエマニュエルが馬車を降りる。
ここはダーミッシュ領を出て、一時間ほど馬を走らせた道端だ。ほっとした様子でエマニュエルは、何度か深い呼吸を繰り返した。
「エマ様、わたくしこそ申し訳ありません」
「いいえ、これはわたしの不徳のいたすところ。リーゼロッテ様のせいではございません」
「ですが……」
窓越しにエマニュエルを見やる。幾分かはよくなってはいるが、その顔はまだ青ざめたままだ。ジークヴァルトの守り石を携帯していたものの、エマニュエルはリーゼロッテの力にあてられて気分が悪くなってしまった。いわく、緑の力が強くなりすぎてのことらしい。
「わたしは辻馬車でも拾って公爵家へ戻ります。リーゼロッテ様はこのまま先にお帰りになってください」
「え? でもそれは危ないですわ」
「わたしは元使用人ですので、辻馬車には慣れております。何も心配ありません」
安心させるように微笑んでくる。だが、エマニュエルは今では立派な子爵夫人だ。上質なドレスを纏ったまま辻馬車に乗っては、よからぬ輩に襲われる危険もあった。
「でしたらヨハン様もエマニュエル様と一緒に」
「いけません。わたしだけでなく、ヨハン様までリーゼロッテ様のおそばを離れるなど、旦那様に申し訳が立ちませんわ」
「ですが、辻馬車を拾うにしても、ここでは難しいのでは」
それでもエマニュエルは頑なに引こうとしなかった。しかし、こんな何もない道端に、エマニュエルだけ残していけるはずもない。
『ねえ、リーゼロッテ。困ってるならヴァルト呼んじゃう?』
「え?」
見上げると、馬車の天井からジークハルトが、顔だけ出して覗き込んでいる。頭が逆さになっているところを見ると、逆立ちしたまま顔を突っ込んでいるようだ。
『最近のリーゼロッテは、そばにいると息苦しくってさ。オレもこの中はちょっと耐えがたいし、もう面倒だからヴァルト呼ぼうよ』
「ヴァルト様を? どうやって?」
ぽかんとして問うと、ジークハルトはにっこりと笑った。
『少し疲れるけど、この距離なら引っ張ってこれると思うから』
天井からにゅっと手が出てくる。その手がちょいちょいと手招きをするので、リーゼロッテは立ち上がってジークハルトに近づいた。
『リーゼロッテ、もっと顔近づけて。そうそう、もっともっと』
言われるがまま顔を寄せていく。見上げるようにすると、ジークハルトもさらに顔を近づけてきた。
鼻先をくっつけんばかりになったとき、いきなり床が沈んで傾いた。誰かが乗り込んできたかのような振動に、リーゼロッテは驚きに振り返ろうとした。
「お前、ふざけるのも大概にしろ」
「ジークヴァルト様!?」
腹に腕が巻き付けられ、リーゼロッテは後ろに引き寄せられる。ぎゅっと抱え込んだまま、ジークヴァルトは己の守護者を睨みつけた。
『じゃあ、オレはもうお役御免ってことで』
ジークハルトはひらひらと手を振って、天井からするりと出ていってしまった。
馬車の扉が開かれると、強い春風が吹き込んだ。口元にハンカチを当て、よろめきながらエマニュエルが馬車を降りる。
ここはダーミッシュ領を出て、一時間ほど馬を走らせた道端だ。ほっとした様子でエマニュエルは、何度か深い呼吸を繰り返した。
「エマ様、わたくしこそ申し訳ありません」
「いいえ、これはわたしの不徳のいたすところ。リーゼロッテ様のせいではございません」
「ですが……」
窓越しにエマニュエルを見やる。幾分かはよくなってはいるが、その顔はまだ青ざめたままだ。ジークヴァルトの守り石を携帯していたものの、エマニュエルはリーゼロッテの力にあてられて気分が悪くなってしまった。いわく、緑の力が強くなりすぎてのことらしい。
「わたしは辻馬車でも拾って公爵家へ戻ります。リーゼロッテ様はこのまま先にお帰りになってください」
「え? でもそれは危ないですわ」
「わたしは元使用人ですので、辻馬車には慣れております。何も心配ありません」
安心させるように微笑んでくる。だが、エマニュエルは今では立派な子爵夫人だ。上質なドレスを纏ったまま辻馬車に乗っては、よからぬ輩に襲われる危険もあった。
「でしたらヨハン様もエマニュエル様と一緒に」
「いけません。わたしだけでなく、ヨハン様までリーゼロッテ様のおそばを離れるなど、旦那様に申し訳が立ちませんわ」
「ですが、辻馬車を拾うにしても、ここでは難しいのでは」
それでもエマニュエルは頑なに引こうとしなかった。しかし、こんな何もない道端に、エマニュエルだけ残していけるはずもない。
『ねえ、リーゼロッテ。困ってるならヴァルト呼んじゃう?』
「え?」
見上げると、馬車の天井からジークハルトが、顔だけ出して覗き込んでいる。頭が逆さになっているところを見ると、逆立ちしたまま顔を突っ込んでいるようだ。
『最近のリーゼロッテは、そばにいると息苦しくってさ。オレもこの中はちょっと耐えがたいし、もう面倒だからヴァルト呼ぼうよ』
「ヴァルト様を? どうやって?」
ぽかんとして問うと、ジークハルトはにっこりと笑った。
『少し疲れるけど、この距離なら引っ張ってこれると思うから』
天井からにゅっと手が出てくる。その手がちょいちょいと手招きをするので、リーゼロッテは立ち上がってジークハルトに近づいた。
『リーゼロッテ、もっと顔近づけて。そうそう、もっともっと』
言われるがまま顔を寄せていく。見上げるようにすると、ジークハルトもさらに顔を近づけてきた。
鼻先をくっつけんばかりになったとき、いきなり床が沈んで傾いた。誰かが乗り込んできたかのような振動に、リーゼロッテは驚きに振り返ろうとした。
「お前、ふざけるのも大概にしろ」
「ジークヴァルト様!?」
腹に腕が巻き付けられ、リーゼロッテは後ろに引き寄せられる。ぎゅっと抱え込んだまま、ジークヴァルトは己の守護者を睨みつけた。
『じゃあ、オレはもうお役御免ってことで』
ジークハルトはひらひらと手を振って、天井からするりと出ていってしまった。