ふたつ名の令嬢と龍の託宣
     ◇
 湯船につかり、リーゼロッテは小さく息をついた。湯あみの世話をしてくれたロミルダを、泣きはらした瞳で見上げる。

「ロミルダ、ありがとう……」
「とんでもございませんよ。エラ様も(じき)にお戻りになられると思いますから、リーゼロッテ様はゆっくり温まってくださいね」

 頷くとロミルダが悲しそうな視線を向けてきた。

「……もしや、旦那様に何かひどいことをされましたか?」
「いいえ……ひどいのは、きっとわたくしの方……」
「リーゼロッテ様……」

 思わず口をついた言葉に、不安げに呼ばれる。はっとしたリーゼロッテはあわてて笑みを作った。

「何でもないの。大丈夫、わたくしちゃんとうまくやるわ」
 視線を落とすと湯船に映る自分の姿が、まるで泣き笑いしているように(ゆが)んで見えた。

「ねえ、ロミルダはエッカルトが好き……? 今でも愛してる?」
「ええ、もちろんでございます」

 ロミルダは侯爵令嬢の地位を捨て、エッカルトの妻となった。当時、婚約者のいたロミルダは、生家とも断絶状態になったそうだ。貴族同士の婚約はいわば契約の一種だ。そのほとんどが互いの利益のために決められる。
 そんな婚約を一方的に破棄するとなると、契約に基づいて多額の賠償が発生する。家にも多大な迷惑がかかるため、ロミルダのような者は家から見放されるのが(つね)だった。

「エッカルトと共に生きると決めたことを、わたしは後悔していません。もし、今あの日に戻ったとしても、わたしは同じ選択をするでしょう」
「そう……」

 リーゼロッテは少しさみしげに、しかし満足そうに頷いた。

「ありがとう、ロミルダ。もう少し(つか)かったら部屋に戻るから」
「何かございましたら、すぐにお呼びになってくださいね」

 ひとり残された浴槽で、リーゼロッテは肩口まで湯に身を沈めた。冷えた体がじんわりと温まってくる。

「やっぱり、思い合うふたりが結ばれるのがいちばんなんだわ……」

 広い浴室に(こも)った声が響く。託宣が無事果たされた時、ジークヴァルトを自由にしてあげるのが自分の取るべき正しい道だ。

(だから、それまでは――)
 そばにいることを許してほしい。

 いつか来るその日を思うと、じわりと涙が浮かんでくる。リーゼロッテは頭ごと、湯船にとぷりと沈み込んだ。ぷくぷくと泡を吐きながらきつく目を閉じる。

(ずっと水の中にいられたら、誰にも涙を気づかれないで済むのに)

 どうして自分はこうもすぐ泣いてしまうのか。せめてジークヴァルトの前でだけは、もう二度と涙は流すまい。そう心に決めて、リーゼロッテは湯の中から顔を出した。

 力を抜いて天井を見上げる。しばらくの間、ゆらゆらと湯船を漂った。

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