ふたつ名の令嬢と龍の託宣
     ◇
「あの、ジークヴァルト様……」
「なんだ?」

 走り出してすぐ、リーゼロッテはおずおずと口を開いた。夜会ではずっと一緒にいられるとはいえ、ふたりきりの時間はこの馬車の中だけだ。

 ドレスがしわになるから、行きは抱っこしないでほしい。前にそう言ったからか、今日は膝に乗せられることはなかった。しかし並んで座る椅子の上、いつもより距離を開けられているように感じた。

(やっぱり夕べ、酔っぱらって何かやらかしたのかしら……?)

 エラに聞いてもやさしく(かわ)されて、酔った時に自分がどんな言動をするのかはいつも教えてくれない。だが時間も時間だけにもう少し淑女の自覚を持てと、今回ばかりは叱られてしまった。

 ただ会いたい一心だったが、確かにジークヴァルトも昨夜は戸惑っていた様子だ。今もなんだかちょっぴりよそよそしい。やはり昨日、何か狼藉(ろうぜき)を働いたに違いない。
 ここは思い切って本人に聞くしかないと、意を決してジークヴァルトの顔を見上げた。

「夕べは申し訳ございませんでした。勝手に押しかけておいて眠ってしまうなんて……」
「いや、いい。問題ない」

 そう言いながらも、ジークヴァルトはすいと顔をそらした。これは何かをごまかしているサインだ。リーゼロッテは途端に涙目になった。

「やっぱりわたくし、酔って何か粗相を働いたのですね……! ヴァルト様、はっきりとおっしゃってくださいませ。わたくしは一体何をしでかしたのですか?」
「いや、別に何もしていない」
「そんなはずございませんわ。義父からも飲酒をきつく止められました。酔うとわたくしはどんな迷惑行為を働くと言うのでしょう。どうぞ本当のことを教えてくださいませ」

 にじり寄るとジークヴァルトはますます顔をそらした。

(そんなに言いづらいことなの!?)

 絶対にこの目を見ようとしないジークヴァルトを前に青ざめた。(から)(ざけ)でくだを巻く自分を想像する。万が一酒乱のDV女などになっていたら、ジークヴァルトも目のひとつもそらしたくなるだろう。
 これからずっと連れ添っていくふたりだ。先のことを思うと、この酒癖(さけぐせ)の悪さをうやむやにしていいはずもない。

「わたくしがお酒を飲んだばかりに、ヴァルト様にとんだご迷惑を……」
「昨日はオレが菓子を食わせたんだ。お前が口にしたのは不可抗力だろう」
「ですが、酔って口に出せないようなことをしたのでしょう? わたくし、今後一切、ヴァルト様の前ではお酒は飲まないと誓いますわ」

 若干取り乱しながら言う。

「いや、むしろオレのいないところで飲むのをやめろ。飲むならオレとふたりきりのときだけだ」
「ですが……」

 泣きそうになって見上げると、ジークヴァルトはものすごく困ったような顔をしていた。

「……わかった。酔うとお前がどうなるのか、婚姻が果たされたら教えてやる。それまでは絶対に酒は口にするな。今はそれでいい」

 何がそれでいいのかよく分からなかったが、リーゼロッテは素直に頷いた。要は酒を飲まなければいいだけの話だ。

「怒ってはいらっしゃいませんか……?」
「怒る? お前に対して何を怒るというんだ?」
「だって夕べはヴァルト様にご迷惑を……」
「お前にされて腹が立つことなどあるわけないだろう」
「え? だってそんな」

 きっぱりと言われて、何と答えればいいのか分からなくなる。

「……そんな甘やかすようなこと、言わないでくださいませ」

 やっとの思いで小さく言うと、ジークヴァルトにふっと笑われた。なんだかちょっぴりくやしくなって、赤くなった頬のまま、唇を尖らせたリーゼロッテだった。

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