ふたつ名の令嬢と龍の託宣
◇
(そろそろお嬢様を起こさないと……)
もっと休ませてやりたかったが、夜会の準備も始めなくてはならない。ギリギリの時間まで待ってから、エラはやさしくリーゼロッテを揺り起こした。
「……エラ?」
「おはようございます、お嬢様。喉が渇いていらっしゃいますでしょう? どうぞこちらを」
「ありがとう、エラ」
ぼんやりとした様子でリーゼロッテはグラスを受け取った。何口か水を含むと、少しだけはっきりした瞳で不思議そうにエラを見る。
「わたくし、昨日はいつ眠ったのかしら……?」
「夕べは公爵様がお嬢様をこちらへお運びになられました。アンネマリー様からいただいた菓子に、お酒が入っていたそうですね」
「そうよ! わたくし、ヴァルト様のお部屋に行って……! どうしよう、何も覚えていないわ……」
頬を包み込みながら、リーゼロッテが涙目になった。
「お嬢様はすぐに眠ってしまわれたようですよ。公爵様も承知してくださっています。何も心配はございません」
「そう……粗相をしていないならよかったわ」
安堵したように笑顔を見せるリーゼロッテを前に、エラは複雑な心境だ。
昨晩、リーゼロッテの夜着は、胸元まで開いていた。かなり際どい場所にまでキスマークがいくつもつけられており、公爵に何をされたのかは聞かずとも分かるというものだ。
首筋の見える場所に残された跡は、うまくごまかさないとならないだろう。夜会で誰かに気づかれる訳にはいかないため、それも憂鬱の種だった。
もしあのとき、自分が声をかけなかったら。そう考えると今でも身が凍る。
(お嬢様がお酒を禁じられていることを、アンネマリー様はきちんとご存じのはずなのに……)
いたずら心だったのかもしれないが、ひとつ間違えば大惨事になっていたかもしれない。
酔ったリーゼロッテはとても無防備だ。誰かれなく抱き着いて、時に頬に口づけてくる。その姿は女のエラでさえメロメロになってしまうほど可愛らしくて、公爵にしてみれば好きに食べてくださいと言われたようなものだったろう。
アルコールで記憶を失くし、目覚めたら純潔を奪われていた。そんなことが起きたら、リーゼロッテはどうなってしまうのか。
男にとって、ああいった衝動を抑えることは難しいと聞く。自分の静止など撥ね退けられても、おかしくはない状況だった。
(でも初めからそのつもりでお嬢様を連れ込んだのなら、公爵様は部屋に鍵をかけていたはずだわ)
開け放たれていた扉を見れば、酒が入っていたことを知らなかったという言葉は、嘘ではないと信じられた。危ないところではあったが、最終的にきちんと自制してくれた公爵に、今は感謝しかないエラだった。
「ジークヴァルト様にはきちんと謝らないといけないわね」
「お嬢様の寝顔が見られて、きっと公爵様もおよろこびですよ」
エラの言葉にリーゼロッテは頬を染めた。こんな愛らしいリーゼロッテを前に、我慢を強いられている公爵に少しばかり同情心が湧いてくる。
(いやいや駄目よ。婚姻前に間違いが起きないようにと、旦那様に何度も言われているんだから)
どのみちリーゼロッテは白の夜会が終わったら、再び東宮へと行くことが決まっている。今自分がすべきは、リーゼロッテのそばを離れないことだ。
(そのために、なんとしても準女官試験に合格しなくては……!)
だが今日のところはリーゼロッテの夜会の準備が最優先だ。道中トラブルに見舞われることもあるため、余裕をもって出発しないとならなかった。
「お食事を済ませましたら、さっそくお支度に取りかかりましょう」
「ええ、いつもありがとう、エラ」
そして夜会に出る一日が、慌ただしく幕を開けたのだった。
(そろそろお嬢様を起こさないと……)
もっと休ませてやりたかったが、夜会の準備も始めなくてはならない。ギリギリの時間まで待ってから、エラはやさしくリーゼロッテを揺り起こした。
「……エラ?」
「おはようございます、お嬢様。喉が渇いていらっしゃいますでしょう? どうぞこちらを」
「ありがとう、エラ」
ぼんやりとした様子でリーゼロッテはグラスを受け取った。何口か水を含むと、少しだけはっきりした瞳で不思議そうにエラを見る。
「わたくし、昨日はいつ眠ったのかしら……?」
「夕べは公爵様がお嬢様をこちらへお運びになられました。アンネマリー様からいただいた菓子に、お酒が入っていたそうですね」
「そうよ! わたくし、ヴァルト様のお部屋に行って……! どうしよう、何も覚えていないわ……」
頬を包み込みながら、リーゼロッテが涙目になった。
「お嬢様はすぐに眠ってしまわれたようですよ。公爵様も承知してくださっています。何も心配はございません」
「そう……粗相をしていないならよかったわ」
安堵したように笑顔を見せるリーゼロッテを前に、エラは複雑な心境だ。
昨晩、リーゼロッテの夜着は、胸元まで開いていた。かなり際どい場所にまでキスマークがいくつもつけられており、公爵に何をされたのかは聞かずとも分かるというものだ。
首筋の見える場所に残された跡は、うまくごまかさないとならないだろう。夜会で誰かに気づかれる訳にはいかないため、それも憂鬱の種だった。
もしあのとき、自分が声をかけなかったら。そう考えると今でも身が凍る。
(お嬢様がお酒を禁じられていることを、アンネマリー様はきちんとご存じのはずなのに……)
いたずら心だったのかもしれないが、ひとつ間違えば大惨事になっていたかもしれない。
酔ったリーゼロッテはとても無防備だ。誰かれなく抱き着いて、時に頬に口づけてくる。その姿は女のエラでさえメロメロになってしまうほど可愛らしくて、公爵にしてみれば好きに食べてくださいと言われたようなものだったろう。
アルコールで記憶を失くし、目覚めたら純潔を奪われていた。そんなことが起きたら、リーゼロッテはどうなってしまうのか。
男にとって、ああいった衝動を抑えることは難しいと聞く。自分の静止など撥ね退けられても、おかしくはない状況だった。
(でも初めからそのつもりでお嬢様を連れ込んだのなら、公爵様は部屋に鍵をかけていたはずだわ)
開け放たれていた扉を見れば、酒が入っていたことを知らなかったという言葉は、嘘ではないと信じられた。危ないところではあったが、最終的にきちんと自制してくれた公爵に、今は感謝しかないエラだった。
「ジークヴァルト様にはきちんと謝らないといけないわね」
「お嬢様の寝顔が見られて、きっと公爵様もおよろこびですよ」
エラの言葉にリーゼロッテは頬を染めた。こんな愛らしいリーゼロッテを前に、我慢を強いられている公爵に少しばかり同情心が湧いてくる。
(いやいや駄目よ。婚姻前に間違いが起きないようにと、旦那様に何度も言われているんだから)
どのみちリーゼロッテは白の夜会が終わったら、再び東宮へと行くことが決まっている。今自分がすべきは、リーゼロッテのそばを離れないことだ。
(そのために、なんとしても準女官試験に合格しなくては……!)
だが今日のところはリーゼロッテの夜会の準備が最優先だ。道中トラブルに見舞われることもあるため、余裕をもって出発しないとならなかった。
「お食事を済ませましたら、さっそくお支度に取りかかりましょう」
「ええ、いつもありがとう、エラ」
そして夜会に出る一日が、慌ただしく幕を開けたのだった。