ふたつ名の令嬢と龍の託宣

【第10話 龍の思惑】

 リーゼロッテが公爵と踊る姿を見届けて、エラはそっとその場を離れた。
 白の夜会には男爵令嬢として参加した。貴族の立場で大きな夜会に出るのは、恐らくこれが最後だろう。

 いつまでもリーゼロッテの姿を目に焼きつけていたかったが、今夜の目的は別にある。王城で(もよお)される夜会では、裏方として働く女官も数多い。その姿を求めて、エラは会場の外に用意された休憩室へとひとり向かった。

(顔見知りの女官がいるといいのだけれど……)

 準女官試験について、何かしら情報を得たかった。だが仕事中の彼女たちの邪魔をするのも、心証が悪くなるかもしれない。ならばその仕事ぶりだけでも観察しようと思っていたエラだった。

 爵位の高い者には専用の控え室が用意されるが、それ以外は空いた部屋を使っていいことになっている。扉が閉まっている場合は誰かしらがいるはずなので、不躾(ぶしつけ)に入るのはマナー違反だ。
 休憩室が並ぶ廊下を歩いてみるが、女官らしい姿は見つからない。その辺りを往復するようにうろうろしていると、いきなり二の腕を掴まれた。

「お前、エデラー男爵家の娘だな?」
「あの、あなたは……?」

 赤ら顔の中年貴族がそこにいた。この男は確か侯爵家かどこかの人間のはずだ。酒臭い息に顔をしかめながらも、不敬を働かないようエラは男の名を記憶の中から探ろうとした。

「もうお前でいい。こっちに来い」
「えっ!? あのっ」

 無理やりに空いている休憩室へと引っ張りこまれる。エラは青ざめて、男の腕を振り払おうとした。ふたりで部屋に入るなど、男女の関係にあると思われても仕方のない状況だ。誰かに見られでもしたら、あらぬ噂の的になる。

「おやめください!」
「逆らうな! おとなしく言うことをきけ!」

 こういった夜会では一夜の関係を楽しむ者もいる。しかしそれも合意あってのことだ。いくら身分が上の貴族相手と言えど、酔っぱらいの戯言(たわごと)に従えるはずもない。
 部屋の半ばまで連れていかれ、ようやく男の手から逃れた。だが閉めた扉の前に立ちふさがれて、エラは逃げ場を失ってしまった。

「男爵家のお前ごときをわたしの愛人にしてやるんだ。ありがたく思うんだな」
「えっ!?」

 不穏(ふおん)な台詞に、エラは驚きの声を上げた。この男はただの火遊びを望んでいるわけではないようだ。こんな人間に捕まったら、後々厄介になるのは目に見えている。自分の名誉だけでなく、実家やリーゼロッテにまで迷惑がかかるだろう。

(相当酔っているようだから、多少の不敬は仕方ないわよね)

 マテアス直伝の護身術を用いれば、酔っぱらい相手に負ける気などしない。再び手を伸ばしてきた男に、エラは隙なく身構えた。

「わたしも運がいい……女帝が死んだ今、いい金ずるを見つけたものだ」

 男の言葉にはっとなる。
(そうだわ、この男……確かグレーデン侯爵の従弟(いとこ)だったはず……)

 グレーデン家はウルリーケの死後、利権をめぐったいざこざが絶えないでいる。今までおいしい思いをしてきた者が資金源を失い、新たに取り入る人間を求めているらしい。社交界ではそんな噂が絶えず囁かれていた。

 エデラー家は低爵位であるものの、事業が波に乗り資産だけは潤沢(じゅんたく)だ。この男はよさげな相手を物色中に、たまたまエラに目を留めたのだろう。しかしウルリーケに近しい者はその死を(いた)み、夜会など華やかな席はみな()けているはずだった。

「あなたはグレーデン侯爵家の縁故の方ですね。ウルリーケ様の喪に服されているはずのお方が、なぜこの場にいらっしゃるのでしょう?」
「う、うるさい! つべこべ言わずにわたしの物になれ!」

 早朝の鍛錬を欠かさなかったおかげで、エラは冷静でいられた。手首を乱暴に掴まれたが、逆に男の腕をねじり上げる。酔った人間相手では、今のエラにとっては造作もないことだ。

「小娘が! 不敬罪で身を滅ぼしたいのかっ!」

 (つば)を飛ばしながら大暴れする男を前に、エラは動揺して手を(ゆる)めた。どこまで本気でやってしまっていいのか躊躇(ちゅうちょ)する。その一瞬の迷いが形勢を逆転させた。喉元(のどもと)を掴まれ、エラは壁に叩きつけられた。

「ぐっ……!」

 息ができなくて、エラは男の手首を掴んではずそうとした。苦し気なエラを前に、男は血走らせた目に狂気の色を宿らせる。

「おとなしく従っていればやさしくしてやったものを……」
「離し……て……」

 酸欠で意識が飛びそうになったその時、締め付けられていた首が開放された。咳込んで、あえぐように空気を求める。壁に背を預けたまま、エラはその場にしゃがみこんだ。

 鈍い音がして、目の前にいた男がよろめいた。涙の浮かぶ瞳で見上げると、細身の青年がさらに一発、男の腹に拳をめり込ませる姿が目に映る。
 いつの間にいたのか、その青年は非力そうな体でひょいと男を(かつ)ぎ上げた。そのまま床に転がすように、部屋の奥へと投げ捨てる。

「はい、有罪(ギルティ)

 心なしかうれしそうに言ってから、青年はいまだ座り込んでいるエラを振り返った。

(仮面……?)

 青年は目だけを覆う仮面をかぶっている。仮面舞踏会ならまだしも、今日はデビュタントのための白の夜会だ。傷を持つ者が仮面をつけることはあるにはあるが、そんな人物は社交界でも話題のひととなる。記憶にない青年を前にして、エラは咄嗟に立ち上がった。
 警戒するように距離を開けようとするが、ふらついてエラはたたらを踏んだ。仮面の青年が、そこをすかさず支えてくる。

「大丈夫ですか? お嬢さん」

 耳元で囁かれ、エラは驚きにその胸を押した。肩と腰に回されていた手は、拍子抜けするほどあっさりと離れていく。その動きの流れのまま、仮面の青年は優雅に礼を取った。

「これは失礼を。レディに断りもなく触れるなど不躾(ぶしつけ)な行いをいたしました。ですが今回ばかりはお許しを」
「……あなたは?」
「エル、とでもお呼びください、勇敢なお嬢さん。この招かれざるブ男は、近衛の騎士にでも引き渡しておきましょう」

 気を失ったまま床に転がる男を、エルと名乗った青年は冷たい視線で見下ろした。怪しげな人物だが、物腰からするにこの青年も貴族のひとりに違いない。そう結論づけてエラは背筋を正した。

「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

 警戒は解かないまま頭を下げる。そんなエラに仮面の青年は笑みを漏らした。

「このままここにいて、よくない噂が立つのもお困りでしょう? あとのことはどうぞわたしにお任せを」

 頷いて足早に部屋を出る。エラは周囲に誰もいないことを確かめて、急いで夜会の会場に戻っていった。

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