ふたつ名の令嬢と龍の託宣
「さて、どうしたものか」
 その背中を見送って、仮面の青年、エルは小さくつぶやいた。

「どうしたもこうしたも、招かれざる客なのはあなたもでしょう? エルヴィン・グレーデン」

 女性にしてはハスキーな声に、部屋の飾りのカーテンに目を向ける。そこには背の高い令嬢が妖艶な笑みを浮かべて立っていた。

「これは、美しいお嬢さん。わたしの正体をあっさり見破るとはただ者ではありませんね。それともカイ・デルプフェルトと、本名でお呼びすべきでしょうか?」
「食えない方ね。この姿の時は、カロリーネと呼んでくださらないかしら?」

 令嬢口調のままカイは返した。口元に笑みを浮かべつつも、しかしその目はまるで笑っていない。わずかな(すき)も見せないように、互いの視線が絡み合う。

「我が一族の不始末は、グレーデン家が責任をもって対処しましょう。今日のところはお見逃しいただけませんか?」
「あら、残念ね。わたくしもやんごとなきお方の(めい)により動いておりますの。いかに侯爵家の次期当主と言えど、目こぼしは致しかねますわ」
「それはなんとも手厳しい」

 笑顔を保ったまま会話の応酬が続く。が次の瞬間、ふたりは同時に動き出した。

 (ふところ)に飛び込んできたカイを、エルヴィンは身を(ひるがえ)して(かわ)していく。かさばるドレスに思うように動けないカイは、どこかたのしげなエルヴィンに向けて小さく舌打ちした。

 スカートをたくし上げ、姿勢を低くして片足を伸ばす。カイはそのまま伸ばした足を素早くスライドさせた。思惑通り足を取られたエルヴィンが、バランスを崩し倒れ込んでいく。
 転んだ拍子に掴まれたテーブルクロスが、カイの顔に降ってくる。茶器や軽食が床にぶちまけられて、耳を刺す音が大きく響いた。

「その姿でやられると、男だと分かっていてもつい目がいってしまうものですね」

 真上から声が聞こえ、カイはテーブルクロスを頭からはぎ取った。天井板をはずしたエルヴィンが、そこに手をかけてぶら下がっている。腕の力だけでひょいと天井裏に潜り込むと、エルヴィンはいたずらな笑顔を向けてきた。

「今宵はこれにて失礼させていただきます。いずれ良いご報告ができるかと。王にはそうお伝えいただけますか?」

 カイが口を開きかけると、部屋の外の廊下に近衛の騎士が集まってくる気配がした。

「このままではあなたも面倒なことになるでしょう? ご健闘を祈ります」
 ぱたんと天井板がはめられると、エルヴィンの気配は遠のいた。

「っち。病弱ってのは演技(ガセ)かよ」

 エルヴィン・グレーデンは侯爵家の跡取りであるものの、幼いころから体が弱く、社交界に姿を見せる機会は今まで一度もなかった。現侯爵のエメリヒも、母親(ウルリーケ)の言いなりの傀儡(かいらい)侯爵として有名だ。そんな頼りないグレーデン家を見限る人間が、続出している現状だった。

(女帝の支配が無くなって、あちらさんも敵味方を整理してるってところか)

 捜査を進めるにあたって、別の組織が同じようなことを探っている痕跡を感じていた。それはすべてグレーデン侯爵の手によるものに違いない。

 気を取り直して荒れた部屋の中、赤ら顔のまま昏倒している男を見やる。この状況で近衛騎士に来られると、確かに厄介なことになりそうだ。こうなればエルヴィンはわざと倒れて大きな音を立てたのだろう。そう思うと余計に腹立たしくなってきた。

 この男に襲われたと騎士に泣きついてもよかったが、カイは密命で肩書もあやふやな謎の令嬢を演じている最中だ。どこの家の者かと問い詰められれば、ボロが出る可能性もある。

(こんなことでイジドーラ様の手を(わずら)わせるのもなぁ……)

 そっと扉に寄り、廊下の気配を確かめる。三人の騎士が近くまで来ているものの、まだ扉の前にはいなそうだ。
 迷いなく扉を開けて、異音を確かめに来た近衛騎士に向かって足早に進んでいく。スカートをつまみ上げ、顔を背けながらその横を通り過ぎた。

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