ふたつ名の令嬢と龍の託宣
     ◇
 国境付近にある騎士団の城塞に戻ったアデライーデは、自室で暖炉の火を見つめていた。
 毛足の長いふかふかの絨毯(じゅうたん)に直接座り、クッションにうずもれながら過ごすのが冬の日常だ。ブランケットに(くる)まって、転寝(うたたね)するのがなんとも心地よい。

 年が明ければハインリヒが王となる。過去にしがみついても、時は勝手に流れていく。巻き戻せない時間に囚われたまま生きるのは、もういい加減やめにしたかった。

(ハインリヒにはああ言ったけど……)

 いまだにあの日を夢に見る。頻度は減ってはいるものの、繰り返される痛みと熱と苦しみが、先に進もうとするアデライーデを(はば)んでくる。

 (まき)()ぜる音を耳にしながら、抱えた(ひざ)に頭を乗せる。あの炎に身を投じてしまえたら。ここに座って幾度そう思ったことか。

「あでりーサマ、またそんなトコで寝ないでクダサイね」
「別にいいでしょ。ランプってほんと口うるさいんだから」

 声をかけてきたのはバルバナス付きの小姓のランプレヒトだ。見た目は可愛らしい少年の姿をしている。だがアデライーデがこの(とりで)に来て六年、ランプレヒトの姿はずっと成長していなかった。言動も大人びていて、本当はいくつなのか分からない謎な存在だ。

「ばるばなすサマがいないときにおカゼでも召されたら、ボクが怒られるんデスよ? リフジンにもほどがありマス」
「風邪なんか引かないわよ。ランプの薬、苦いから飲みたくないもの」
「甘くもつくれマスけどね」
「じゃあそうしなさいよ」
「いやデス。あのマズそうに(ゆが)められたカオを見るのがスキなんデス」

 ランプレヒトはバルバナスの世話をする以外は、部屋にこもって薬草を煎じて過ごしている。彼からはいつも青臭いにおいがする。もう慣れてしまったが、はやく部屋から出ていってほしかった。

「もう分かったからあっち行って」
「イチオウ、忠告だけはしましたカラね」

 ここは自室の居間ではあるが、バルバナスと共用だ。寝室は別々だが、ランプレヒトを含めて三人で過ごしている部屋だった。

 再びひとりきりになったアデライーデは、暖炉で踊る炎を見つめながら、クッションの中に身を沈めた。そのひとつを胸に抱き、深く息をつく。
 今日はまたあの夢を見そうだ。そんな予感は大抵当たってしまう。

「何しけた顔してんだ?」
「ちょっと……!」

 いきなりブランケットをはぎ取られる。心地よい温もりを奪われて、アデライーデはいつの間にか戻っていたバルバナスを(にら)み上げた。

 バルバナスはそのブランケットを自分で羽織り、後ろにどっかりと腰かけた。そのまま引き寄せ、アデライーデを腕の中に囲ってくる。バルバナスごとブランケットに(くる)まれて、再び心地よい熱が戻ってきた。

「ハインリヒんとこ行ってきたのか?」
「ええ」
「そうか」

 バルバナスの胸に顔を預け、アデライーデは力を抜いた。耳に鼓動を聞きながら、充足(じゅうそく)安堵(あんど)(つつ)まれる。

 アデライーデはバルバナスに連れられて、ここ騎士団の城塞へとやってきた。毎晩のように悪夢にうなされ泣き叫んでいたアデライーデに、バルバナスはいつだって寄り添うように温もりを与えてくれた。それは今になっても変わらない。

 この暖かさが傷ついた少女のままでいることを許してくれる。自分が過去を捨て切れないのは、バルバナスがいるからなのだろう。
 そう思ってもアデライーデは、心地よい腕の中から抜け出すことはできなかった。武骨な手が、あやすように頭を撫でていく。

「今夜はずっとこうしててやる。心配せずぐっすり眠れ」

 ここなら怖い夢を見ることはない。そんな確信の中、訪れた睡魔に(あらが)うことなく、アデライーデはまどろみに沈んでいった。

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