ふたつ名の令嬢と龍の託宣
【第21話 鳥籠のわがまま姫】
薬草の味がするスープを何口かすすり、リーゼロッテはスプーンを置いた。あとは何も手をつけずに、扉の下の穴から盆を廊下へと押し戻す。
窓辺の椅子がリーゼロッテの定位置だ。格子のはめられた小さな窓から、降り積もる雪をただ眺めた。ぼんやりと過ごすだけで一日が終わっていく。時を止めたような毎日だ。
(ヴァルト様のお誕生日はもう過ぎてしまったかしら……)
東宮にいる間、頑張ってブランケットを編んだ。それを贈る日をずっとたのしみに待っていた。寒く凍える日に、ジークヴァルトをあたためられるように。そんなことを願って。
滑り落ちた涙が、手の甲の上、いくつも跳ねる。こんな日がいつまで続くのだろう。あらためて迎えに来るまで待てと言われた。だがその迎えが来たら、自分はどうなってしまうのか。
「青龍の花嫁……」
それを聞いたとき、生贄という言葉が浮かんだ。神の怒りを鎮めるために、人柱として乙女が差し出されるのは、物語でよくある話だ。
(わたしは龍から託宣を受けたのに……)
怪しげな頭巾の神官たちは、カルト教的な一団なのかもしれない。
逃げ出そうにも、扉が開けられる機会もない。体調不良を装って、ひとが入って来たときに隙をついて部屋から出るか。
しかしこの雪の中を逃げ切る自信はなかった。やみくもに飛び出しても、凍死するのが落ちだろう。そもそもここがどこなのかもわからない。外で助けを求めようにも、見える景色は雪にうずもれた森が広がるばかりだ。
あれこれ考えているうちに、霞がかかったように思考がぼんやりとしはじめる。半分まどろみながら、リーゼロッテは身じろぎひとつせず外を眺めやっていた。
ふいに扉から音がした。もう次の食事の時間だろうか。下から盆が差し入れられるのかと思いきや、前触れなく扉が開かれた。
驚いて立ち上がる。そこには白頭巾の神官が三人いた。
「聖女様、今日はこの者を連れて参りました。日中だけ、聖女様の世話をいたします」
しゃがれ声の神官がそう言うと、後ろから背を丸めた白髪の老婆がおどおどと現れた。箒やバケツを手にしていて、そういえばこの部屋に来てから掃除など一度もしてないなどと、リーゼロッテは明後日なことを思った。
部屋の中にその老婆だけが足を踏み入れた。神官たちは廊下に立ったまま入ってこようとはしない。
怯えた様子で老婆はリーゼロッテに近づいてくる。その顔を間近で見た時、リーゼロッテは驚きのあまり大きな声を上げた。
「べっ……!」
そのタイミングで目の前の老婆が盛大に転んだ。手にしたブリキのバケツが床を跳ねて、リーゼロッテの声をかき消していく。
「何をしているんだ!」
頭巾神官のひとりが、忌々しげに倒れる老婆に歩み寄った。罰を与えるために腕を振り上げる。
「やめて! 乱暴なことはしないで!」
転んだままの老婆を庇う。リーゼロッテが立ちふさがると、神官はすぐに廊下まで身を引いた。
倒れる老婆を助け起こすと、それはやはりベッティだった。老婆だと思ったのは白髪のせいだ。驚きのまま口を開こうとしたリーゼロッテを制するように、人差し指がベッティの唇にあてられた。
さりげないその動きに、神官たちは気づかなかったようだ。何か事情があるのだと、リーゼロッテは瞬時に口をつぐんだ。
再び扉に鍵がかけられる。廊下に見張りの神官をひとり残して、他の神官は行ってしまった。残ったのは先ほどベッティに手を上げようとした神官だ。頭巾で顔は見えないが、声からするに若い男なのだろう。
その間にベッティは転がった道具をかき集め、部屋の中を掃除し始めた。おぼつかない手つきで床を掃くと、今度は膝を下につけ雑巾で床を磨いていく。
黙々と拭き掃除を続ける背中を、リーゼロッテは目で追った。話をしたいが、神官が扉の小窓から見張っている。どうしたものかと思案しているうちに、神官が話しかけてきた。
窓辺の椅子がリーゼロッテの定位置だ。格子のはめられた小さな窓から、降り積もる雪をただ眺めた。ぼんやりと過ごすだけで一日が終わっていく。時を止めたような毎日だ。
(ヴァルト様のお誕生日はもう過ぎてしまったかしら……)
東宮にいる間、頑張ってブランケットを編んだ。それを贈る日をずっとたのしみに待っていた。寒く凍える日に、ジークヴァルトをあたためられるように。そんなことを願って。
滑り落ちた涙が、手の甲の上、いくつも跳ねる。こんな日がいつまで続くのだろう。あらためて迎えに来るまで待てと言われた。だがその迎えが来たら、自分はどうなってしまうのか。
「青龍の花嫁……」
それを聞いたとき、生贄という言葉が浮かんだ。神の怒りを鎮めるために、人柱として乙女が差し出されるのは、物語でよくある話だ。
(わたしは龍から託宣を受けたのに……)
怪しげな頭巾の神官たちは、カルト教的な一団なのかもしれない。
逃げ出そうにも、扉が開けられる機会もない。体調不良を装って、ひとが入って来たときに隙をついて部屋から出るか。
しかしこの雪の中を逃げ切る自信はなかった。やみくもに飛び出しても、凍死するのが落ちだろう。そもそもここがどこなのかもわからない。外で助けを求めようにも、見える景色は雪にうずもれた森が広がるばかりだ。
あれこれ考えているうちに、霞がかかったように思考がぼんやりとしはじめる。半分まどろみながら、リーゼロッテは身じろぎひとつせず外を眺めやっていた。
ふいに扉から音がした。もう次の食事の時間だろうか。下から盆が差し入れられるのかと思いきや、前触れなく扉が開かれた。
驚いて立ち上がる。そこには白頭巾の神官が三人いた。
「聖女様、今日はこの者を連れて参りました。日中だけ、聖女様の世話をいたします」
しゃがれ声の神官がそう言うと、後ろから背を丸めた白髪の老婆がおどおどと現れた。箒やバケツを手にしていて、そういえばこの部屋に来てから掃除など一度もしてないなどと、リーゼロッテは明後日なことを思った。
部屋の中にその老婆だけが足を踏み入れた。神官たちは廊下に立ったまま入ってこようとはしない。
怯えた様子で老婆はリーゼロッテに近づいてくる。その顔を間近で見た時、リーゼロッテは驚きのあまり大きな声を上げた。
「べっ……!」
そのタイミングで目の前の老婆が盛大に転んだ。手にしたブリキのバケツが床を跳ねて、リーゼロッテの声をかき消していく。
「何をしているんだ!」
頭巾神官のひとりが、忌々しげに倒れる老婆に歩み寄った。罰を与えるために腕を振り上げる。
「やめて! 乱暴なことはしないで!」
転んだままの老婆を庇う。リーゼロッテが立ちふさがると、神官はすぐに廊下まで身を引いた。
倒れる老婆を助け起こすと、それはやはりベッティだった。老婆だと思ったのは白髪のせいだ。驚きのまま口を開こうとしたリーゼロッテを制するように、人差し指がベッティの唇にあてられた。
さりげないその動きに、神官たちは気づかなかったようだ。何か事情があるのだと、リーゼロッテは瞬時に口をつぐんだ。
再び扉に鍵がかけられる。廊下に見張りの神官をひとり残して、他の神官は行ってしまった。残ったのは先ほどベッティに手を上げようとした神官だ。頭巾で顔は見えないが、声からするに若い男なのだろう。
その間にベッティは転がった道具をかき集め、部屋の中を掃除し始めた。おぼつかない手つきで床を掃くと、今度は膝を下につけ雑巾で床を磨いていく。
黙々と拭き掃除を続ける背中を、リーゼロッテは目で追った。話をしたいが、神官が扉の小窓から見張っている。どうしたものかと思案しているうちに、神官が話しかけてきた。