ふたつ名の令嬢と龍の託宣
 ふと浅いまどろみに降り立つ。(だん)を求めて目の前にある温かな毛並みに、しがみつくように顔をうずめた。耳元に熱い鼻息がかかる。はっとしてリーゼロッテは顔を上げた。
 馬の背にもたれかかったまま、いつの間にか眠っていた。リーゼロッテに寄り添うように、馬は足を曲げて座っている。

 見回すともう夜が明けていた。すぐ横に川が流れている。うすく(もや)がかかり、小鳥のさえずりがあちこちから響いてきた。
 リーゼロッテが身を起こすと、足元にいた何かが一斉に逃げ散らばった。驚いて見やると、リスや狐、雪兎などが、遠巻きにこちらを振り返っている。

「みなが温めていてくれたの……?」

 急に離れた温もりにそのことを知る。返事をすることなく動物たちは、思い思いの方向に森の中を消えていった。
 ふいに馬が立ち上がる。支えを失って、リーゼロッテは雪の上に手をついた。
 馬はせせらぎに向かって行った。川岸まで行くと首を下げ、一心不乱に水を飲みはじめる。

(のど)が渇いていたのに、わたくしのために我慢してくれていたのね……」

 静かに水を飲み続ける姿に、申し訳ない気分になる。自分は誰かに助けてもらってばかりだ。ベッティはあの後どうなったのだろう。怖すぎて、その先を考えることができなかった。
 ふらつきながら立ち上がる。幽閉生活で衰えた体が、夜の乗馬で悲鳴を上げていた。

 見ると靴もどこかに行ってしまっている。あかぎれた裸足のまま、川岸までなんとか行った。肩口で不揃いに切り取られた自分の髪が、流れる水面に映る。
 ベッティは囮になると言っていた。それで髪が必要だったのだろう。水面に涙が落ちる。髪など生きていれば嫌でも伸びてくる。だが死んでしまってはどうにもならない。

 涙を堪えてリーゼロッテは水を掬って口に含んだ。途端に乾いた喉が歓喜する。

「おいしい……」

 踏みしめる雪よりも、水の方が温かく感じられた。近くの岩に腰を下ろして、リーゼロッテは足を浸した。ずくずくと痛んでいた足の裏が、少しだけ楽になる。
 しばらくぼんやりしていると、膝の上、ぽとりと赤い木の実が落ちてきた。
 見上げると、頭上の伸びた木の枝にいた白いテンと目が合った。続けてふたつみっつと実が落ちてくる。

「こんな場所にまで……いつも本当にありがとう」

 あの部屋にも来てくれていた子だ。遠慮なくリーゼロッテは、赤い実を頬張った。少し苦みの残る実は、とてもやさしい甘みがあった。
 種を口の中で転がしていたリーゼロッテの目の前を、何か(ちょう)のようなものがふいによぎった。

 こんな冬に蝶がいるはずもない。きらきらした粉を振りまきながら、それは不規則に飛んでいる。目を凝らすと羽が生えた少女のように見えて、リーゼロッテは思わずごしごしと目をこすった。

「……妖精?」

 何度見てもそう見える。目覚めゆく森の清々しさと疲労が相まって、自分はおかしくなってしまったのだろうか。

 妖精がこちらを振り返った瞬間、馬が突然駆け出した。置いていかれたことにショックを受けて、リーゼロッテは慌てて立ち上がる。
 裸足のまま追いかけるも、すぐにその背を見失ってしまった。

「馬さん……」

 呆然と立ち尽くして、途端に足が射すような痛みを訴える。雪の中を泣きながら、リーゼロッテはとぼとぼと歩いた。

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