ふたつ名の令嬢と龍の託宣
(川からは離れないようにしよう)

 下流に向かって歩を進める。神殿が広いと言っても限りはある。川を目印にすれば、いつかどこかに行きつくはずだ。
 それでも雪や木々に阻まれて、川沿いを離れてしまう。途方に暮れてリーゼロッテは、来た道を戻ろうかと足を止めた。

 振り返った鼻先に、先ほどの妖精がいた。見つめ合って、ふたり同時に(またた)きをする。

 声を上げそうになるが、驚かしては可哀そうだ。近くで見る妖精は、リーゼロッテにとてもよく似ていた。長い髪は蜂蜜色で、瞳の色は綺麗な緑に輝いている。
 顔を覗き込んだまま、妖精は羽を動かしその場で滞空飛行をしている。背中に手を回して小首をかしげる仕草がなんとも愛らしくて、リーゼロッテの瞳がきゅんと潤んだ。

「あ、妖精さん、待って!」

 ふいに遠くへ飛んでいった妖精を必死で追いかける。小さい上にすばしっこくて、すぐに見失ってしまった。森の中、ひとりは耐えられなくて、リーゼロッテは木々の中を(すが)るように見回した。

 ちょんちょんと肩をつつかれる。驚いて振り向くと、すぐそこに妖精が浮いていた。

 今度はゆっくりと飛び始める。リーゼロッテを誘うように、振り向いては少し進んでいく。それを追いかけると、目の前に舗装された小路が現れた。雪の積もっていない、まっ平らな地面だ。

 妖精の導きで、路なりに歩を進めていく。すると小鳥のさえずりの中、行く方向に馬の(ひづめ)の音が聞こえてきた。

「あ、馬さん! ありがとう、馬さんのところまで案内してくれたのね!」

 瞳を輝かせてお礼を言うも、妖精の姿はすでになかった。今度こそはぐれないようにと、リーゼロッテは小路を急いだ。

 曲がりくねった小路の先、木々の間から馬影が垣間見えた。ほっとして駆け寄ろうとする。だがその横に馬を引く人物がいて、リーゼロッテは思わずその足を止めた。

「ジーク……ヴァルト様……?」

 信じられないが、あれが幻だったら今度こそ心が死んでしまいそうだ。

 声も届かない距離にもかかわらず、ジークヴァルトははっとこちらを見やった。馬の手綱を離し、一目散にこちらに向かってくる。夢にまで見たあのジークヴァルトが。

 気づいたら駆けだしていた。うす汚れた服も、ざんばらな髪も、痛む裸足のことも何もかも忘れて、なりふり構わず胸に飛び込んだ。
 強く強く抱擁を交わす。

「リーゼロッテ」
「ジークヴァルト様……」

 夢だと思いたくなくて、その頬に手を伸ばした。
 きつく抱きしめられたまま、唇を塞がれる。確かめるように舌を絡め、お互いの熱を分け合った。
 泣きじゃくりながら息もつけない。それでもリーゼロッテは、ジークヴァルトと何度も何度も口づけを交わした。

「ぁ……んヴァルト様……ベッティがわたくしを、んん、逃がして……くれて……」

 口づけの合間に必死に訴える。助けに行かないと間に合わない。胸を叩くも、力なく縋りついているだけに終わってしまった。

「王城側からカイたちが向かったはずだ。今頃到着している。問題はない」

 そう言ってさらに深く口づけられた。絡めた舌先から、青の力が包むように体の中に入り込んでくる。
 あたたかい波動に、もう何も考えられなくなる。その青に溺れて、リーゼロッテは安堵(あんど)の中、意識を手放した。


 この後、ジークヴァルトはリーゼロッテを馬の背に乗せて、単独で裏口から公爵家に帰ることになる。
 そんな事とは露も知らないアデライーデたちが、真実を知らされたのはその日の夕刻だ。徹夜で必死に探し回っていた面々に、鬼の形相をされたのは言うまでもない。






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