ふたつ名の令嬢と龍の託宣
◇
「旦那様、お気持ちは理解いたしますが、王前で剣を抜いたりなさらないでくださいよ」
謹慎が解け、久々の登城を前にマテアスが釘を刺すように言った。ジークヴァルトは眉間にしわを寄せたまま、何も返事を返さない。
「わたしとて旦那様と同じ気持ちです。ですが今問題を起こしたら、リーゼロッテ様との未来がすべて台無しとなるのですよ。ここはリーゼロッテ様のしあわせを思って、どうぞ心をお鎮めください」
そんなふうに言われては、ジークヴァルトも黙って頷くしかなかった。出発前にリーゼロッテの部屋へと向かう。外へと一歩も出したくなくて、いつも行われるエントランスでの送り迎えも、必要ないと伝えてあった。
できることなら出仕になど行きたくない。とにかくリーゼロッテのそばを離れることが怖かった。
以前のように連れていくことも考えたが、政務のための出仕となると、結局はどこかの部屋で留守番させることになる。また何かあったらと疑念が頭をもたげて、王城になど近づけられるはずもなかった。
「ヴァルト様、お気をつけて行ってきてくださいませね」
出迎えた笑顔に、波だつ心が穏やかになる。頬に触れるとはにかみながら、小さな手を重ねてきた。かき抱いて離したくなくなる。閉じ込めて、これ以上、誰の手にも届かぬように。
「あの、ヴァルト様……わたくし、お戻りのお出迎えだけでもしたくって」
「駄目だ、戻ったらすぐ顔を見に来る。それまで部屋からは一歩も出るな」
「……分かりましたわ」
仕方なさそうにリーゼロッテは微笑んだ。自由を奪う行為も、彼女は寛容に受け入れる。
マテアスには何度も窘められたが、それでも退けない自分がいた。目の行き届かない不測の事態を思うと、脅迫観念のように失う恐怖が襲い来る。
「旦那様、もう少しリーゼロッテ様を自由にして差し上げても」
「いいのよ、マテアス。わたくしちゃんとお部屋でお帰りを待っているから」
「ですが、いつまでもこの状況でいたら、リーゼロッテ様も窮屈でございましょう?」
「ヴァルト様には今まで心配ばかりかけてきたもの。わたくしこれくらい、なんてことはないわ」
「しかしそれはリーゼロッテ様のせいではございませんし……」
困り顔のマテアスを前に、リーゼロッテはふわりと笑みを作った。
「それでもご負担にはなりたくないの。その代わりヴァルト様、お戻りになったら少しでもわたくしをかまってくださいませね?」
「ああ、分かった」
「あともうひとつお願いが……」
もじもじと恥じらいながら、上目遣いを向けてくる。頬を真っ赤に染めたまま、リーゼロッテは大きく両手を広げてみせた。
「お出かけの前に、ぎゅっとしてくださいませっ」
意を決したように紡がれた言葉に、ぎゅっとなったのはむしろこの胸の奥だった。いろんなものが限界を超えすぎて、衝動であらぬものが爆発しそうだ。触れたら最後、止まらなくなりそうで、手を伸ばすことをためらった。
「何やってるんですか、早く抱きしめて差し上げないと」
小声で急かされて、歯を食いしばり小さな体を包み込む。やわらかくて、あたたかくて、あまい香りが鼻をくすぐった。力が入りすぎないようにしながらも、きつく閉じ込めて離せなくなる。このまま自室に連れ去って、鍵を掛け、寝台に押し倒して、もう何もかもを手に入れたい。
「ヴァルト様……少し苦しいですわ」
慌てて腕を緩めると、はにかむ笑顔で見上げてきた。胸板に頬を寄せ、無防備な体を預けてくる。たまらなくなって、真上から髪に口元をうずめた。溢れ出る何かをごまかすために、リーゼロッテの頭めがけて青の力を吹き込んだ。
「ふひあっ」
腕の中をリーゼロッテが小さく飛び跳ねる。理性と欲望がせめぎ合って、踏みとどまるために大きく長く息を吐いた。ぎりぎりの所でようやく理性が機能する。傷つけないように。壊さないように。彼女は守るべき存在だ。
「もう、ヴァルト様、突然力を流し込むのはやめてくださいませ」
「オレがいない間の応急措置だ」
やっとの思いで体を離した。これ以上触れていたら、きっと本当にまずいことになる。
『ヴァルトってなんでそんなに頑固なんだろ? 本能に従っても別にいいと思うけど』
「うるさい、お前は黙っていろ」
天井から現れた守護者を睨みつけると、マテアスが訝しげな顔をした。
『もう仕方ないなぁ。今日はオレ、ずっとリーゼロッテのそばにいるからさ、安心して王城に行って来なよ。何かあったらすぐにヴァルトを呼ぶからさ』
「ハルト様がおそばにいてくださるなら心強いですわ」
「駄目だ、部屋には絶対に入るな」
『やだなぁ、リーゼロッテの着替えとかは覗いたりしないって。ヴァルトが見たいって言うなら、遠隔で視せてあげるけど』
「ふざけるな」
殺気交じりに言葉を返すと、横にいたリーゼロッテがなぜか傷ついたような瞳で見上げてきた。
「旦那様……また守護者ですか? ご心配でしょうが今日はエラもそばにおります。そろそろ出発しないと遅れてしまいますよ」
「ああ、分かっている」
離れがたくて頬に指を伸ばす。焦れたマテアスに促されて、ジークヴァルトは渋々王城に向かったのだった。
「旦那様、お気持ちは理解いたしますが、王前で剣を抜いたりなさらないでくださいよ」
謹慎が解け、久々の登城を前にマテアスが釘を刺すように言った。ジークヴァルトは眉間にしわを寄せたまま、何も返事を返さない。
「わたしとて旦那様と同じ気持ちです。ですが今問題を起こしたら、リーゼロッテ様との未来がすべて台無しとなるのですよ。ここはリーゼロッテ様のしあわせを思って、どうぞ心をお鎮めください」
そんなふうに言われては、ジークヴァルトも黙って頷くしかなかった。出発前にリーゼロッテの部屋へと向かう。外へと一歩も出したくなくて、いつも行われるエントランスでの送り迎えも、必要ないと伝えてあった。
できることなら出仕になど行きたくない。とにかくリーゼロッテのそばを離れることが怖かった。
以前のように連れていくことも考えたが、政務のための出仕となると、結局はどこかの部屋で留守番させることになる。また何かあったらと疑念が頭をもたげて、王城になど近づけられるはずもなかった。
「ヴァルト様、お気をつけて行ってきてくださいませね」
出迎えた笑顔に、波だつ心が穏やかになる。頬に触れるとはにかみながら、小さな手を重ねてきた。かき抱いて離したくなくなる。閉じ込めて、これ以上、誰の手にも届かぬように。
「あの、ヴァルト様……わたくし、お戻りのお出迎えだけでもしたくって」
「駄目だ、戻ったらすぐ顔を見に来る。それまで部屋からは一歩も出るな」
「……分かりましたわ」
仕方なさそうにリーゼロッテは微笑んだ。自由を奪う行為も、彼女は寛容に受け入れる。
マテアスには何度も窘められたが、それでも退けない自分がいた。目の行き届かない不測の事態を思うと、脅迫観念のように失う恐怖が襲い来る。
「旦那様、もう少しリーゼロッテ様を自由にして差し上げても」
「いいのよ、マテアス。わたくしちゃんとお部屋でお帰りを待っているから」
「ですが、いつまでもこの状況でいたら、リーゼロッテ様も窮屈でございましょう?」
「ヴァルト様には今まで心配ばかりかけてきたもの。わたくしこれくらい、なんてことはないわ」
「しかしそれはリーゼロッテ様のせいではございませんし……」
困り顔のマテアスを前に、リーゼロッテはふわりと笑みを作った。
「それでもご負担にはなりたくないの。その代わりヴァルト様、お戻りになったら少しでもわたくしをかまってくださいませね?」
「ああ、分かった」
「あともうひとつお願いが……」
もじもじと恥じらいながら、上目遣いを向けてくる。頬を真っ赤に染めたまま、リーゼロッテは大きく両手を広げてみせた。
「お出かけの前に、ぎゅっとしてくださいませっ」
意を決したように紡がれた言葉に、ぎゅっとなったのはむしろこの胸の奥だった。いろんなものが限界を超えすぎて、衝動であらぬものが爆発しそうだ。触れたら最後、止まらなくなりそうで、手を伸ばすことをためらった。
「何やってるんですか、早く抱きしめて差し上げないと」
小声で急かされて、歯を食いしばり小さな体を包み込む。やわらかくて、あたたかくて、あまい香りが鼻をくすぐった。力が入りすぎないようにしながらも、きつく閉じ込めて離せなくなる。このまま自室に連れ去って、鍵を掛け、寝台に押し倒して、もう何もかもを手に入れたい。
「ヴァルト様……少し苦しいですわ」
慌てて腕を緩めると、はにかむ笑顔で見上げてきた。胸板に頬を寄せ、無防備な体を預けてくる。たまらなくなって、真上から髪に口元をうずめた。溢れ出る何かをごまかすために、リーゼロッテの頭めがけて青の力を吹き込んだ。
「ふひあっ」
腕の中をリーゼロッテが小さく飛び跳ねる。理性と欲望がせめぎ合って、踏みとどまるために大きく長く息を吐いた。ぎりぎりの所でようやく理性が機能する。傷つけないように。壊さないように。彼女は守るべき存在だ。
「もう、ヴァルト様、突然力を流し込むのはやめてくださいませ」
「オレがいない間の応急措置だ」
やっとの思いで体を離した。これ以上触れていたら、きっと本当にまずいことになる。
『ヴァルトってなんでそんなに頑固なんだろ? 本能に従っても別にいいと思うけど』
「うるさい、お前は黙っていろ」
天井から現れた守護者を睨みつけると、マテアスが訝しげな顔をした。
『もう仕方ないなぁ。今日はオレ、ずっとリーゼロッテのそばにいるからさ、安心して王城に行って来なよ。何かあったらすぐにヴァルトを呼ぶからさ』
「ハルト様がおそばにいてくださるなら心強いですわ」
「駄目だ、部屋には絶対に入るな」
『やだなぁ、リーゼロッテの着替えとかは覗いたりしないって。ヴァルトが見たいって言うなら、遠隔で視せてあげるけど』
「ふざけるな」
殺気交じりに言葉を返すと、横にいたリーゼロッテがなぜか傷ついたような瞳で見上げてきた。
「旦那様……また守護者ですか? ご心配でしょうが今日はエラもそばにおります。そろそろ出発しないと遅れてしまいますよ」
「ああ、分かっている」
離れがたくて頬に指を伸ばす。焦れたマテアスに促されて、ジークヴァルトは渋々王城に向かったのだった。