ふたつ名の令嬢と龍の託宣
     ◇
 心が決まらないまま、あっという間にバルテン家に到着してしまった。硬い表情で馬車を降りたリーゼロッテは、ジークヴァルトに手を引かれ子爵家の屋敷へと足を踏み入れる。

「フーゲンベルク公爵様、ダーミッシュ伯爵令嬢様、お待ちしておりました」

 エントランスでバルテン子爵夫妻に迎えられた。ヘッダは父親似なのだろう。やさしげなブルーグレーの瞳に、彼女の面影が垣間見える。

「神事での長旅でさぞお疲れでしょう。最大限のおもてなしをさせていただきます。どうぞごゆるりとお過ごしください」
「ああ、世話になる」
「バルテン子爵様、お心遣い感謝いたします」

 リーゼロッテが礼を取ると、バルテン夫妻から感嘆の息が漏れた。

「娘には聞いておりましたが、ダーミッシュ伯爵令嬢様は(まこと)に所作がお美しいですな」
「ええ、本当に。ヘッダの言っていた通りですわね」
「ヘッダ様が……?」

 強張った顔を向けると、夫妻は穏やかな表情で頷いた。

「娘もおふたりにお会いできることをたのしみにしておりました。娘婿のアルベルトとともに間もなくこちらにやってくると思います。何しろまだ怪我の療養中なものでして、お待たせして申し訳ございません」

 ほどなくしてエントランスの奥の扉から、車輪が回る音が聞こえてきた。長身の青年に押され、車椅子に乗った女性が現れる。
 目を合わせられなくて、リーゼロッテは咄嗟に深く礼を取った。貴族の立場としては、客人である自分の方が上だ。だがそんなことすら考えに及ばないくらい、リーゼロッテの心は大きく波だっていた。

(ヘッダ様と顔を合わせるのが怖い……)

 王女は自分の身代わりとなって死んでしまった。龍の決めた定めであったとしても、その事実が消えることはない。

 頭を下げた先、車椅子のつま先が視界に入った。すぐ後ろに立つ男はアルベルトなのだろう。それでも顔を上げられなかった。ここで自分が泣くのは卑怯(ひきょう)でしかない。溢れだしそうになる涙を、リーゼロッテは必死に押し殺した。

 ぎゅっと(まぶた)を閉じる中、横にいたジークヴァルトが息を飲むのを感じた。そしてなぜかジークヴァルトも、ふたりに向けて礼を取る。

 車椅子はリーゼロッテの少し手前で止まった。アルベルトに支えられて、ヘッダがゆっくりと立ち上がる。
 その気配に身を震わせた。王女が健在な折から、あれだけヘッダに嫌われていたリーゼロッテだ。罵声を浴びせられることを覚悟して、断罪を待つ罪びとのごとく、身動きもせず礼の姿勢を必死に保った。

「久しぶりね、リーゼロッテ」
「え……?」

 その声に思わず目を見開いた。

「そんなにかしこまらないでちょうだい。今はあなたの方が身分は上なのだから」
「クリス……ティーナ様……」


 顔を上げた先、アルベルトに支えられていたのは、亡くなったはずのクリスティーナ王女だった――



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