僕を、弟にしないで。僕はお義父さんの義息子になりたい
――神様がいるなら、俺を救って欲しい。
家の前につくと、俺はそんなことを想った。
「……ただいま」
家のドアを開けて呟く。
「疫病神のお帰りね」
玄関の前の廊下にいた姉ちゃんが、そんなことを言ってくる。
「……姉ちゃん」
姉ちゃんの名前は山吹飾音。
姉ちゃんは切れ長の瞳をしていて、身長が女なのに百七十まであって、百七十二の俺と二センチしか変わらない。
俺は山吹蓮夜。高校一年生だ。
姉ちゃんは四年前から俺のことを〝疫病神〟と呼んでいる。
四年前、姉ちゃんは交通事故に遭いそうになった俺を庇って、大けがを負った。その時の後遺症で姉ちゃんは左腕を麻痺している。
姉ちゃんはダンサーになるのが夢だった。姉ちゃんはダンサーになるのが夢だったから、事故に遭う前から、音大のダンスコースに推薦入学することが決まっていた。それなのに、俺のせいで姉ちゃんは推薦を諦めるハメになって、夢も叶えられなくなった。
――姉ちゃんの夢を壊した俺は疫病神以外のなにものでもない。
靴を脱いで、廊下に足を踏み入れる。
「……トイレ、自分で掃除しなさいよ」
姉ちゃんが耳もとで、低い声で囁く。
どういう意味だ?
玄関のそばにあるトイレのドアを開けた瞬間、悪臭が鼻腔を掠めた。
「……っ!」
便器の中に、俺の内履きがあった。内履きには黄色い液体と泥とトイレの水がかかっていた。……匂いの原因はコレか。
「うっ」
液体まみれの内履きの中で、瀕死のゴキブリがハネをばたつかせていた。
「どうしたの? 早く片付けなさいよ」
姉ちゃんが麻痺のない右腕を俺の肩に回して、笑いながら囁く。
俺は姉ちゃんの腕を振りほどいて、突き当りの右側にある自分の部屋に駆け込んだ。
「うっ……」
部屋に入った途端、涙が溢れ出してきた。
気分が悪くなってきて、吐き気に襲われる。
俺は鞄を床に投げ捨てると、ベッドのそばにあったゴミ箱を掴んで、そこにものを吐いた。
最悪の気分だ。
俺はあの事故以来、姉ちゃんから虐待を受けている。
その虐待の仕方は多岐にわたっていて、さっきみたいな単純な嫌がらせの他に、殴る蹴るなどの暴行をされる時もあれば、カッターで皮膚を切られる時もある。
姉ちゃんのせいで、俺の心はとっくにボロボロだ。
「はぁ……」
姉ちゃんにまた何か言われる前にトイレ片付けて、ビニール袋も処理しないと。
でも、ゴキブリも匂いも嫌だ。
ゴキブリは虫の中で一番嫌いだ。
……どうしよう。
できることなら、いっそあのままの状態しておきたい。
……でも、そんなわけにはいかないんだよな。
俺は鬱屈とした気持ちで起き上がった。
「いった!?」
ベッドの隣にあった勉強机に手を置いたら、手首が切れた。
何かと思って見てみると、机の上にあるスケッチブックのそばに、カッターが刃をむき出しにした状態で置かれていた。カッターの刃はざっと五センチくらい出ていた。……怖すぎだろ、これ。
――まさか。
俺は嫌な予感がして、慌ててカッターの刃をしまって、スケッチブックを開いた。スケッチブックにあった紙のほとんどが、原型もないほどボロボロに引き裂かれていた。
俺は唇を噛んで、引き裂かれている紙をゴミ箱に捨てた。