意地悪な副社長との素直な恋の始め方
意外な隣人は……

ゆらゆら。ゆさゆさ。

優しい揺れに、意識が浮上する。

まず嗅覚が覚醒し、コーヒーの匂いをキャッチする。続いて、焼きたて? のパンの匂い。
そして……何だろう。とってもいい匂いがする。


「ねえ……起きて? 偲月さん? 起きないと…………チューしちゃうわよ?」


次に覚醒した聴覚がなんともセクシーな誘惑の言葉をキャッチし、心臓がはね上り、危うく口から飛び出しそうになって目が覚めた。


(め、女神……なわけない)


目の前には美しすぎる大女優が、いたずらっけたっぷりの笑みを浮かべていた。


「おはよう? 偲月さん」

「お、はよう、ございます……月子さん」

「朝ごはん、パンでよかったかしら?」

「す、すみません! ありがとうございます!」

(大女優に朝ごはんの用意をさせるなんて何やってるのよ、わたしーっ!)


慌ててベッドから起き出して、バスルームで顔を洗い、リビング兼ダイニングルームへ向かう。


「わたし、お料理はぜんぜんできないんだけど、コーヒーを淹れることと、パンを温めることはできるのよー?」


月子さんは、ニコニコ笑いながら、カップに優雅な仕草でコーヒーを注いでくれた。

特徴のある絵柄を持つカップは、どこぞの王室御用達XXXXコペンハーゲンだと思われる。
食器は割れるものという考えのもと、安さと頑丈さで選んでいた庶民の身では、畏れ多くて薫り高いコーヒーを味わうどころではない。


(う、うっかり落として割ったり欠けたりしたらどうしよう……て、手が震える……)


「パンはね、近くに美味しいお店があってね。毎朝ウォーキングのついでに買いにいくの」

「ウォーキング? 月子さん、何時に起きたんですか?」


勧められて口にしたクロワッサンは、サクサクで濃厚なバターの香りと風味が贅沢だ。


「五時頃かしらね? 最近、日の出と共に目が覚めちゃうのよ」


「五時っ!? そんな早い時間から起き出して活動していたなんて……ぜんぜん気づきませんでした」


「そうでしょうね。偲月さん、ぐっすり寝てたもの」

「すみません……」


昨夜は、寝不足と泣き疲れで、シャワーを浴びてゲストルームのベッドへ潜り込むなり、気を失うようにして寝てしまった。


「どうして謝るの? 安眠を提供できて嬉しいわ」

「ありがとうございます……。あの、ウォーキングって、毎日どれくらい歩くんですか?」

「だいたい一時間くらいかしらね。でも、どちらかというと散歩に近いわ。同じように見えて、目にする風景には毎日ちょっとした変化があるでしょう? 空の色とか、道端に咲く草花とか。店先に貼られたお知らせとか。それを見つけながら歩くの。で、パン屋さんのいい匂いに引き寄せられて、つい立ち寄るってわけ。天気がいい日は、ベランダでのんびり朝食を取ることもあるわ」


月子さんの視線の先には、ゆったりした造りの緑あふれるベランダがあった。

シマトネリコやオリーブが生い茂り、その足元ではコーンフラワーやアルケミラモリス、ミント、カレンジュラにセージなど、さまざまな植物たちがおしゃれな木製のネームプレートで自己主張している。

何でもかんでも適当に詰め込んだように見えて、絶妙なバランスを保っているその光景に、どこか既視感を覚えた。


(……朔哉の部屋に、ちょっと似てる)

「やっぱり……親子ですね」

「え?」

「朔哉の部屋も庭があって、雰囲気がよく似てい……」


何気なく朔哉の話をしかけて、ハッとした。

< 222 / 557 >

この作品をシェア

pagetop