意地悪な副社長との素直な恋の始め方


とりあえず、ジャージ素材の黒のワンピースとカーキ色の下着を手にクローゼットから出る。


「ねえ、朔哉。この服……」


本当に着てもいいの確かめようとしたが、電話中の朔哉に『少し待て』と目配せされた。

なんとも落ち着かない気分で待つこと数分。
英語……ではない外国語でひとしきり話したのち、軽く笑い声を上げて電話を切った朔哉は、わたしが手にしている服を見て眉根を寄せる。


「どうした? 気に入らなかったか?」

「そう、じゃなくて。これ、本当にわたしが着てもいいの? 誰かほかのひと……」


朝から、落ち込む可能性のある質問などしたくなかった。
でも、何も知らないフリをしていられるほど、何も気づかないフリをしていられるほど、神経が図太くはない。


「芽依の、じゃないの?」


朔哉は怪訝な表情で問い返す。


「芽依? どうしてだ?」

「その……泊まった時の……ため、とか」


先日の会議の時に会った芽依は、朔哉と仲違いしているようには見えなかった。

あの夜。
約束の場所に現れなかった朔哉を訪ね、芽依と遭遇した時の様子を思えば、頻繁に出入りしていてもおかしくない。

しかし、朔哉はそんなわたしの予想を否定した。


「すぐ近くに実家があるのに、どうしてわざわざここに泊まる必要がある? 秘書課を離れたいまは、仕事で顔を合わせることも、あまりない」

「そう、なんだ……」


その言葉を信じられたなら楽なのに、頭の片隅、胸の奥にこびりついた不安や疑い、劣等感が邪魔をする。


「偲月? どうした?」

「う、ううん、何でも……」

「クローゼットにある服は、全部シンが偲月用にとくれたものだ。自由に着てかまわない。気に入ったなら、持って帰ればいい」

「シン?」

前田 慎之介(まえだ しんのすけ)。『avanzare』のデザイナーだ。友人だと言っただろ。まさか、まだ会っていないのか?」

「う、うん……」


朔哉と『avanzare』のデザイナー兼社長が友人同士だとは聞いていたけれど、実際に会ったことも話したこともなかった。

中野さん曰く、


『うちの社長、極度の人見知りなのよー。だから、マスコミへの露出も嫌がってたの。そのうち、こっそり会わせたいと思ってるんだけど、なかなか……。仕事関係者でも、直接会う気になるまで最低でも半年はかかるから、気長に待っててくれる?』


ということだった。


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