意地悪な副社長との素直な恋の始め方


息を詰め、大きく目を見開いてわたしを見つめていた朔哉が、ぼそっと呟く。


「走る必要はないだろ」


暗くてよくわからないけれど、その頬は少しばかり赤味を帯びているかもしれない。


「だって、朔哉はきっと待ちきれなくてイライラするでしょ?」

「転ぶんじゃないかとハラハラするよりマシだ」

「走りやすいドレスを作って」

「なんで走ることが前提なんだ。花嫁は、静かにゆっくり歩くものだ」

「……ありがとう」

「…………」

「わたしに似合うドレスを作ってくれて」

「…………」

「すごく……すごく、嬉しい」

「偲月……」


もう一度、朔哉が顔を寄せかけたところで、観覧車のドアが開く。
わたしとしては、このままもう一周したいところだが、いくらキスで気を紛らわすことができても、朔哉には無理だろう。

にこやかな係員の「ありがとうございました」という声に見送られ、観覧車を降りる。

何となく、お互い無言のまま再びカップル満載の公園を通り抜け、駅へ向かう。

観覧車のあとのプランは、決めていない。
食事するような時間でもないし、バーで飲みたい気分でもない。

それは朔哉も同じだったようで、タクシー乗り場を見て、ぽつりと呟く。


「……帰るか」


コウちゃんの言葉が、ふいに脳裏をよぎった。


――チャンスはいつも巡って来るとは限らない。シャッターチャンスと一緒。その一瞬を逃がしたら、もう二度と巡り会えないかもしれない。本当に欲しいものがあるのなら、がむしゃらに掴みにいかなきゃならない時がある。


いまなら。
きっといろんなことを素直に訊き、受け入れられる気がした。

朔哉の部屋を出る時、いつか戻ると、いつか戻りたくなると思って頷いた「いつか」は、きっと「いま」だ。

だから、帰る先は決まっていた。



「うん、帰る。……朔哉のところに」




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