偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
私は社交上の知識もなく、お嬢様らしい振る舞いひとつできない。

求められる妻としての役割を満足に果たせない。

せめて嫌われないよう、足を引っ張らないよう努力すべきなのだろう。

けれどこんなにちぐはぐな私たちの結婚生活はきっと長く続かない。

それなら下手に遠慮して我慢をするより、私らしく櫂人さんに向き合ってみたい。

強引で横暴な部分は否めないけれど、ここ数日で知った彼はとても思いやり深かった。

私の意見をできるだけ尊重してくれていると態度の端々で感じた。

最低な始まりだったとはいえ、縁あって出会ったのだし、少しでも夫となる人を知りたい。

あまり多くない自分の荷物は午後の早い時間にあっさりと片付いた。

広すぎる部屋は物音ひとつせず、どこか居心地が悪い。

真新しい部屋はどこもかしこもピカピカに磨かれている。

掃除はいったい誰がしているのだろう。

食事も悩ましい。

家具家電の使用をはじめ、冷蔵庫の中身も好きにしていいと一応言われている。

今朝確認した冷蔵庫内は飲み物や調味料、米など多くの食材が収まっていた。

これも誰が準備してくれたのか不明だ。

多忙な彼が買い出しをするとは思えないし、今後は私が補充すべきだろう。

そもそも、普段彼はどんなものを口にしているのだろう。

好きな食べ物や嫌いなもの、そんな些細なことすらわからない。

思った以上に櫂人さんと私の間に立ちはだかる壁は分厚い。

なにもかも尋ねなければわからない状況に前向きな気持ちが萎みそうになる。

ため息をつきたくなる衝動を必死に押しとどめ、『櫂人さんに尋ねるリスト』に買い出しや食事の支度を加える。


「……また干渉するなって言われるかな」


零れ落ちた独り言は、広い部屋に虚しく響いていた。
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