求める眼差し ~鏡越しに見つめあう、彼と私の物語~

シャンプー

 美容室に着いた時、受付にいたのは、この前、シャンプーをしてくれた野村さんだった。

「珍しいですね。黒川さん、指名されないなんて」
「あ、ちょっと、すぐに切ってもらいたくて」
「でも、黒川さん、今日は大丈夫みたいですよ?」

 ニッコリ笑う野村さん。
 黒川さんがフリーなのは、いつもなら嬉しいはずなのに、今日は少し微妙な気分になって苦笑いが浮かんでしまう。

「いらっしゃいませ」

 背後から聴こえたのは、黒川さんの柔らかい声。
 いきなりだったから、肩がビクンッと震えてしまう。

「こ、こんにちわ」

 ふりむくと、今日もステキな笑顔の黒川さん。
 私、ちゃんと笑えてるかな。
 結局、黒川さんに案内されて、鏡の前の椅子に座る。

「今日は、どうしますか?」

 やっぱり、そのまま黒川さんが担当してくれるらしい。
 鏡越しに見れば、たぶん、大丈夫、なんて少しだけ思ってたけど、やっぱり笑顔が固い自分が、真正面にいる。

「え、えと。そろそろ気分転換に、髪型変えようかなって」
「いいですね」

 そういいながら、私の髪に触れる彼の手。
 耳をかすめたその手は、冷たくて、心地いい。

「でも、もうちょっと長さが出てきてからのほうがいいかもしれませんね」
「あ、やっぱり、そうですか?」
「ええ。ちょっと、この長さだと、まだ何もできないっていうか」

 こういう時にこそ、気分を変えたかったけど、長さが足りないと言われれば、仕方がない。

「まずは、少し伸ばしてからにしましょうか。そうだな、来月くらいなら、少しは変えられるかも」

 来月になれば、私も変われるかな。
 とりあえず、毛先だけ整える感じに、という話になった。

「じゃあ、シャンプー台へどうぞ」
 
 他のスタッフさんもいるみたいだけど、今日は、黒川さんがそのままシャンプーしてくれるらしい。
 大きな手が、ギュッギュッと私の頭をもみほぐす。
 やっぱりシャンプーは、男の人の力強い手の方が気持ちがいい気がする。

「……何かあった?」

 黒川さんが、小さな声で、優しく聞いてきた。
 さすがに、涙腺が緩みそうになる。

「何もないですよ?」
「……そう? ……なんだか辛そうだけど?」

 ガーゼ越しに、顔が歪みそうになる。

 ――そんなふうに優しく言うから、辛くなるんです。

 やっぱり、来なければよかったかな、そんな思いが頭をよぎる。

「き、きっと正月疲れです。仕事、忙しかったから」
「……そっか、お疲れ様」

 この想いもシャワーで流れ去ってくれればいいのに、と思うけど、実際は、そんな簡単には流れてはくれなかった。
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