水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
こんな不気味な紅い月が出迎えているのだ。
それに、25歳になるまであと半年もない。
だから、何かが起きる。いや、起きて欲しい。この日でなけば奇跡など起きるはずもない。
そう思っていた。のに、この日も何事もなく自宅に到着してしまう。
しかし、突然香りが鼻先を掠める。果実のような甘味の奥にあるは深い辛味のある香り。沈香の香り。お香好きの紅月が一番好きな香りだが、それでもとても気高さを感じる。
それは、紅月を誘うように道の先へと続いている。少し古いアパートに到着したはずなのに、紅月の足は自然と夜道へと向かっていた。この先は住宅街が広がっており、いつもなら行かない場所。けれど、沈香の香りがどうしても気になって仕方がないのだ。
人通りの少ない住宅街の道路。車がすれ違うのにもスピードを落とさないと危険なほど狭い道の奥。そこに何か大きなものが置かれていた。そこはごみ収集場所で、明日は粗大ごみの日なのか沢山の古びたり壊れたりした家具や家電が置かれていた。その中でも一際存在感がある大きいソファがあった。
海外の映画で、裕福な家庭の暖炉の横に置かれているような、立派な皮製の一人用のウィングチェアが置かれていたのだ。高級感があるようにも見えるが、どうにも中から綿のような、弾力のある資材が穴があいてしまった所から飛び出ている。闇夜のせいでよく見えないが、きっと他も古びているのだろう。
だが目に入るのはそのソファ古さではない。
そのソファに座っている、ある男性が虚ろげな表情でこちらを見つめていたのだ。
神秘的という言葉はこの男のためにあるのではないかと思うほどの、儚い雰囲気の男性だった。白にも見える銀色の髪は、紅い月の光を浴びてうっすらと赤く光っている。それと同じ長い睫毛も艶がある。髪よりも白い肌は青白いのに、唇が今日の月のように真っ赤で、怪しげな雰囲気を醸している。そして、丸々とした瞳も大きく、ショーケースに並んだ琥珀石のよう光ってる。
夜風に吹かれて真っ白な袴の裾が揺れる。神職の服装のようにも見えるが、羽織は海よりも蒼く、波打つたびに光によって色合いを変える不思議な布だった。
「おまえ、あと少しで死ぬんだな?」
「………え?」