水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~




 廃神社になる寸前のところまでいってしまったのは、矢鏡のせいではないはずだ。
 そこに住む人間が大切にしないからだ。
 それなのに、彼は自分の力足らずな所を恥じているようだ。

 矢鏡に何を言わせているのだろうか。
 自分は命を助けてもらう立場だというのに。

 紅月は咄嗟に顔を上げて、矢鏡の駆け寄り手を掴んだ。
 そして、背の高い彼を見上げながら、「すみませんでした」と自分の愚かさを謝罪した。


 「矢鏡様が助けてくださるというのに、すみませんでした。……裸になるのは正直恥ずかしすぎるのです。そ、その男性とそのような経験がないので、神様でもどうしても躊躇してしまって。ですが、頑張りますので。矢鏡様は力不足などではありません」


 彼の月色の黄金の瞳を見つめ返し、切実な声でそう訴える。
 自分が間違っていた、と。だから、自分を責めないで欲しい。そんな気持ちを込めて。


 「よし。その言葉を忘れるなよ」


 すると、先程の切なげな表情とは打って変わって、ニヤリと口元を曲げて勝ち誇ったように微笑む矢鏡の顔に変わっていた。この神様は悪い意味でコロコロと表情がわかるのだ。そう、わざと変えていたのだろう。


 「や、矢鏡様ッ!?騙しましたね?」
 「そうか。紅月は俺が初めての男なのだな。いい事を聞いた」
 「なッ!!矢鏡様ッ!!」


 満足気に声を零した矢鏡は、「さて準備をするか」と、何もないところから硯を準備して墨をすり始めた。
 それに文句の声を上げても「いいから、準備をするように」と先程言った口約束を出されてしまい、紅月は黙るしかなかった。


 やはり、この神様はずるい。
 紅月は矢鏡に隠れてため息をついたのだった。



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