水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~





 矢鏡が木々の間から手を伸ばした瞬間、白無垢の少女は恐怖で引き攣った表情のまま、後ろに倒れて行った。
 真っ黒な瞳を見開いて、自分以外のもの全ての恨むような表情は、まるで想像上の鬼のようだった。



 「みんなも死ねばいい」


 白無垢よりも真っ白だった少女の血のように真っ赤な唇から出た最後の言葉。
 それは全てを呪う言霊だった。
























 目の前に起こった出来事の衝撃から、矢鏡は逃げるように山を下り、自分の山小屋へと戻った。
 また鈴の音が聞こえてくるのだろうか。そう思いビクビクしていたが、嫁入りの行列の帰りは静かすぎるぐらい何の音も聞こえない。いつもの森の静けさだけだった。

 白無垢の少女。彼女は何故、あんな恰好で飛び降りたのだろうか。
 震える体のまま、濡れた服を脱いで、天井から伸びた紐に引っ掛けた。そして、囲炉裏に火をつけて、その前にドカリと座る。


 「何だったんだ、あれ……」


 矢鏡の独り言に帰ってくる言葉はない。
 脳裏に焼き付いてしまった、白無垢の少女の最後の表情で口の動き、そして、ゆっくりと宙に白無垢を靡かせながら川へと落ちていく姿。見ていないはずのその姿さえ頭の中で再生されてしまい、矢鏡はギュッと目を強く閉じた後に瞼を開いた。




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