水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~




 子どもの頃、銀髪がバレる前に友人と話した妖怪の話。それが役に立つとは思わなかった。
 河女は河にある橋にいる妖怪で、橋を歩いている男に声を掛けて取り憑いてしまうという妖怪だ。取り憑かれると、異様なまでに食欲が増してしまう。沢山の飯を食べても足りなくなると、自分の排泄物まで食べてしまうと言う。そして、夜になると河女の元へと向かい、その後気がふれてしまう、といわれるものだ。
 まさか、女が妖怪であるとは思ってもいないが、女と会ってから別に食欲も増すわけでもないし、橋を渡った記憶もないので嘘だろう。女でも妖怪話なども好きなんだな、と思ったぐらいだ。

 その後、名前も知らない同士「山男」「河女」と呼び合いながら、何とかいつも水を汲んでいる川に到着した。女の足は遅かったのでいつもの倍以上の時間はかかってしまった。


 「この辺りに白無垢があった」
 「え!?それを見たの?それに、なんで白無垢だけ……」
 「あぁ、水汲みの後にあの少女の遺体はなかったし、怪我をしてどこかに逃げたような後はなかった」
 「やっぱり蛇神様が連れて行ったのかな……。その着物は」
 「血などついていたからな、そのままにしておいた」
 「そう……」

 女はは悲しげに矢鏡が指さした辺りに視線を落とした。そして、着物が汚れるのも気にせずに、大きい石がゴロゴロした川瀬に膝をついて座り込む。そして、手を合わせた後に大きな目がゆっくりと瞼で隠れる。しばらくの間、女は亡き妹に祈りを捧げていた。その間、川のせせらぎや鳥のさえずりだけが聞こえてくる。
 日に焼けていない彼女の首は真っ白で、女はこんなにも肌が白いものなのだな、と見入ってしまっていた。返事がなく不思議に思ったのか、女がこちらを振り返り首を傾げて、ようやく矢鏡ははっとした。
 何を考えているのだろう。この女は妹の死を悲しみ、そして自分も死ぬかもしれないという恐怖に怯えているはずなのに、自分は何を考えているのだろうか。
 自らの思考を恥じながら、矢鏡は「どこにいったんだろうな」と、曖昧な返事を返すので精一杯だった。


 それから川の周りの捜索してみたが蛇神には出会えなかった。
 上流に近い場所に大きな洞穴があった。森に隠されるように、大きな木々に囲まれており、山で暮らしていた矢鏡も存在自体知らなかった場所だ。2人は洞穴に入ってみるつもりだったが、少し足を進めただけで、鳥肌が立つほどの異様な冷たさと鉄と青臭い匂いが混ざった異臭、そして、ごーーっという嵐のような低い唸り声のような音。それらが、矢鏡と女を迎えた。それらを感じ取った瞬間、女の足はピタリと止まった。



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