すべてが始まる夜に
「あ、あの、部長……」
「んっ?」

眉間に皺を寄せながら凛々しいきりっとした瞳を向けられる。 一気に緊張が走り、不安な表情のまま固まっていると、「あっ、悪い……」と言って、不意に左手で首元のネクタイを緩めた。

ネクタイを緩める仕草なんて飲み会でよく男性がしているなんてことない動作なのに、その瞬間、金曜の夜の眠っている部長の姿を思い出してしまい、その仕草が色っぽくて心臓がドクンと反応する。

「昼飯後の打ち合わせってお腹もいっぱいだし、少し気が緩むよな」

フッと零した笑みに、「そ、そうですよね」と条件反射のように愛想笑いを浮かべてしまう。

「新店舗のイメージとターゲット層は分かった。それよりここの場所ってさ、住所はどこ? 資料に書いてあったっけ?」

「はい、3ページ目に書いてます。住所は確か……」

部長はページを捲り住所を確認すると、スマホで場所を確認し始めた。

「ああ、天神よりもまだかなり向こうか……。でも通り沿いって言っても1本入ったとこだよな。近くには確か同じようなコーヒーチェーン店が3軒ほどあったはずだが……」

部長はスマホの地図からパソコンにシフトして、また新店舗の位置を確認している。 九州支店にいたから新店舗の場所が気になるのだろうか。

「新しい店舗を出すと言っていたのはここだったのか。ここは確かギャラリーのはずだよな。ギャラリーのオーナーがここをうちに売ったのか?」

やっと場所の確認ができたのか、ひとりごとのようにぶつぶつと呟いている。
それよりもさっきから私はあることが気になっていた。
さっきから部長は会社でのいつもの丁寧な口調とは違って、プライベートの時に見る部長と同じ口調に変化しているのだ。

部長って打ち合わせするときはこんな感じなの?
みんな知ってたのかな?
私がその姿を知らなかっただけなのかな?

「なあ、ここの外装はどうなってる?」

ふいに顔を上げた部長は私の表情を見て、「あっ、悪いな」と前髪をかきあげながら照れくさそうに顔を歪めた。
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