すべてが始まる夜に
「もしかして……コーヒーの豆を挽いてるんですか?」

「ああ、久しぶりに手挽きのコーヒーが飲みたいと思ってな」

私に視線を向けながらも、ハンドルを回す手の動きは止まらない。

「この間一緒に蔵田珈琲に行っただろ? その時に家にこのミルがあったことを思い出して、あれからもう一度蔵田珈琲に行って豆を買ってきたんだ」

「えっ? あれからまたあそこに行かれたんですか?」

「ああ、蔵田さんおすすめのコーヒーがどうしても飲んでみたくて、会社の帰りに寄ったんだ。さすがコーヒーに精通しているだけあって、ガツンとくるような美味いコーヒーだったよ。飲みやすさで言えばブレンドの方がはるかに美味いけど、常連が毎週おすすめのコーヒーを飲みに通うのもわかる気がしたよ」

次第にガリガリと音を立てていたミルの音が小さくなり、部長は回していたハンドルから手を離した。
そしてテーブルの上に置いてあったサーバーとドリッパーを目の前に置き、ペーパーフィルターの中に挽かれた豆を全部入れて平らになるように整え、ドリッパーにセットした。
そこに粉全体にお湯が染み渡るようにまあるく円を描きながらお湯を注ぎ始める。
途端にほわっとコーヒーのいい香りが部屋の中に充満し始めた。

「うわぁ、すっごくいい香り」

「だよな。コーヒーってこの瞬間が一番いいよな」

「ほんと。私もこのお湯を注いだ瞬間が一番好きです」

窓の外はとてもいい天気で、ゆったりとした時間が流れる中、お休みの朝に挽きたてのコーヒーが飲むことができるなんて、何て贅沢なんだろう。
そして部長とこんな風に過ごす時間が、どういうわけかとても心地よく思えてくる。
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