あなたの隣を独り占めしたい(続編まで完結)
***

「着いたよ」

 はっと顔を上げると、車は止まっていて、窓の外には私が住んでいるアパートが見えた。

(いつの間に着いてたんだろう。早すぎる)

 降りたくないという気持ちが咄嗟に湧いたけれど、そうもいかない。
 私はシートベルトを外して短くお礼を言った。

「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。楽しい時間を過ごせて嬉しかった」
「……はい」

 なんだかお見合いでもした人との会話みたいだ。
 月曜日からこの人は上司として私の仕事を指示する立場の人なのに、もうそういうオフィスでの関係は今は思い起こせない。

(恋人なら、キスくらい……したい)

「あ、あの」

 顔を上げると、佐伯さんはいたって冷静な瞳で私を見つめていた。
 まるで何を言い出すのか観察しているような目で。

(私がここでキスをしてほしいって言ったら、幻滅するのかな)

 そんな恐れがあって、言葉にできない。

「何? 忘れ物でもあった?」
「……いえ。なんでもないです」

 ドアを開けようとノブに手をかけた瞬間、腕をグッと惹かれて体が後ろにのけぞった。

(えっ)

 驚いている間にも私は佐伯さんの腕に抱きすくめられ、首筋に痛いほどのキスをされた。

「……っ、さ、佐伯さ……」
「どうして言わないの。思ってること」
「だ、だって……」

 どうにか視線だけ後ろを向くと、彼はどこか寂しげに微笑んでいる。

「あのさ。槙野が何かを言って嫌いになったり幻滅したりするような男なら、今のうちに切っちゃった方がいいんだってわからない?」
「……」
「ちなみに俺は何を言われても嫌いにもならないし幻滅もしない。キスしてって言われたらするし、抱いてって言われたら抱く」

 ”抱く”という言葉が艶めかしくて、それだけでじわっと体が熱くなる。
 それくらい佐伯さんの瞳と声には色気があって、近くにいるだけで気分にさせられてしまうのだ。

「わ、私は……」
「もちろんこのまま帰してほしいと言われてもそうする。君が嫌がることは絶対しない」
「でも、それだと、佐伯さんの気持ちがわからないじゃないですか」

 こんなにも私を優先してもらえるなんて信じられない。
 ここまで紳士だと、逆に警戒心を強めてしまう。

「俺の気持ち? 俺は槙野が好きだって言ってる。誰にも渡したくないくらい好きだよ」

 はっきり好きだと言われて嬉しくないわけじゃない。
 でも佐伯さんの「好き」には私が欲しいものと違う響きを感じた。

 言葉で表現できるものへの嫌悪。 
 そういうものがあった。

「でもこんな言葉……何百回言ったって気持ちの証明にはならないから。だからゆっくりにしてるんだよ」

「ゆっくり……してくださってるんですか?」

「そりゃそうだよ……だって、俺が望んでいることをそのままぶつけたら、きっと君は壊れてしまうから」

「……っ」

 冗談でもない低い声でそう呟かれ、自分の中にはないのだと思っていた女としての欲望がぐんっと大きくなるのがわかった。
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