桔梗の花咲く庭

第8話

襦袢の上に浴衣を羽織ると、廊下に出た。

閉めきった部屋では独りでいても蒸し暑い。

襖を開け放し、廊下から縁側に出る。

自分の部屋から見える風景を眺めた。

数歩も歩けばすぐ行き詰まってしまうような土塀に、背の高い数本の木が植わっている。

本当はあの花のことだって、そんなには好きじゃない。

柱にもたれて歌を唄う。

子供の頃に、よく鞠をつきながら歌った歌だ。

もう随分長いこと唄っていなかったのに、それは自然と声に流れてくる。

すりむいたところからは、まだ血がにじんでいた。

家に帰りたいと、初めて思った。

「落ち込んでいるのかと思うていたのですが……」

現れたその人は、そんなふうに言った。

「お元気そうでなにより」

私がにっこりと微笑んで見せたら、隣に腰を下ろした。

「手まり唄です。晋太郎さんは、手まりで遊んだことは、ありますか?」

「ありませんよ、そんなの」

「あはは、そうでしょうね」

私は唄う。

晋太郎さんの遊んだことのない、手まり唄を。

「大事がないなら、私は戻ります」

「はい、大丈夫です」

ひらひらと手を振った。

「私のことなど、どうぞお気になさらずに」

「足をひねっていたようだと、聞きましたが」

「あぁ、平気です。たいしたことないので」

その足をにゅっと突き出す。

足首をかくかくと元気よく動かして見せた。

「ね、大丈夫でしょ?」

笑顔で返した私に、この人はため息をついて立ち上がる。

「少し休んだら、皆のところに顔を出しなさい。心配しています」

「はい。すみませんでした。ご心配をおかけして」

背中を見送る。

泣いたら負けだと分かっているのに、その姿が見えなくなったとたんに、何かが頬を伝う。

夕餉の支度の時刻になって、何事もなかったかのように土間へ戻った。

奉公人たちに「あら大丈夫なのですか?」なんて言われたりなんかして、これ以上この家での評判を落とさぬよう、丁寧に頭を下げる。

「お騒がせして、申し訳ありませんでした」

それからは黙って身を粉にして働いた。

夜になりようやく一人になると、どっと疲れが押し寄せる。

早めに寝床を整えると、横になった。

ひねった足はまだ痛い。

その痛みに目を閉じる。

遅れてやってきたその人に何か言われるかと思っていたけれども、何も言われなかった。

その日はなかなか寝付けぬまま、気づけば朝になっていた。
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