午後の水平線

15、小さな幸せ

 『 今度の日曜、お茶しない? 』
 1人で、制作オフィスで残業していると、久し振りに、隼人からのLINEが入った。
 何事も無かったかのような、今までと変わらない話し掛け……
 里美にとって、待ちに待った着信であった。

 『 イイよ☆ いつものカフェでいい? 』
 『 OK! じゃ、10時ね 』

 里美もまた、先日の事には触れず、交信し合う。
 ホッとする、里美。
( 良かった… やっと、返信をくれた )
 こちらからしても良かったのだが、中途半端な別れをしただけに、隼人がどんな心情に
なっているのかが分からず、ためらっていたのだ。 正直、LINEするのが怖かったのも
ある。 最悪の返事が返って来るのが、怖かったのだ。
( もし、破局したら…… あたしは、洋志さんに乗り換えるのかしら……? )
 今の段階では、確かに、里美の心の中に、洋志の存在がある。
 しかし、それは、里美の一方的な、淡い片思い。 未来の、良い所だけを想い描いた、
願望でもある。

 …虚像は、自分の決断で淘汰出来る。

 現実に、自分を想ってくれる人がいるのだ。 里美自身、それを認知し、嬉しく思っている。
( 自分に、素直にならなきゃ…… あたしは、隼人が好き。 隼人も、あたしが好き。 それで良いのよ…! 先の見えない未来なんて、2人で考えれば、怖くなんかない。 先が無いワケじゃ、ないんだもん…! )
 パソコンチェアーに、もたれ掛かり、そんな事を考えた里美であった。

 薄曇の空が広がる、日曜日。
 雨が落ちて来る心配は、無さそうだ。
 おそらく、週明けには、梅雨も明ける事だろう。
 湿気は無く、爽やかな日である。
 里美は、いつも隼人と待ち合わせている市内の喫茶店にいた。
 窓の外に目をやると、先日の公園が見える。
 木々の緑は、先日より一層と、その色の深みを増しているようだ。

「 よっ、お待たせ! 」

 隼人が、現れた。
 デニムの上着に、膝の出たジーンズ。 いつもと、何も変わってはいない。
「 よっ、じゃないわよ。 たまには、あたしにそのセリフ、言わせなさいよ 」
 皮肉っぽく、笑いながら言う、里美。
「 フッ… オレが早く来たら、また梅雨が始まっちまうぜ? …お? カフェオレか? 珍しいじゃないか、どうしたんだい? 」
 里美が飲んでいるものを見ながら、席に付く、隼人。
 今までと同じように、気さくに話し掛ける隼人に、里美はホッとする。
「 何~となく、飲みたくなってね。 保科さんトコの味に慣れたせいか、コーヒーは、何を飲んでも納得いかなくて 」
「 そりゃ、言えてるな。 んじゃ、オレも変えよかな? … あ、すんません、オレンジジュースください 」
 近くを通り掛かった、ウエイトレスに注文する隼人。
「 イキナリ、そう来るの? 似合わないわよ、隼人~ 」
「 イイだろ? 別に~ オレ、オレンジジュース、好きなんだ 」
「 ふ~ん、初めて知ったわ、そんなん。 以外ね~ 」
 さり気なく、初めて、隼人をファーストネームで呼び捨てにしてみた、里美…
 隼人は、気付いただろうか。
( 自然に、言えた… )
 気恥ずかしいが、内心は、嬉しい里美。
 隼人が言った。
「 レコーディングが、忙しくてさ。 ここ1週間、ずっとスタジオに缶詰だったよ 」
「 いいカンジで、仕上がってるの? 」
「 まあね。 何とか 」
 そう言って、隼人は、1枚のメモ用紙をポケットから出して、里美に渡す。
「 …曲名ね? 出揃ったんだ 」
 メモには、数曲のタイトルらしき文字が並んでいた。
 先日、里美がデザインしたアルバムに入れるものだ。 全て、英文タイトルである。
 メモをたたみ、セカンドバッグの中に入れると、里美は言った。
「 プレスは、いつ頃? 」
「 今月の下旬だな 」
 運ばれて来たオレンジジュースを飲みながら、隼人が答える。
「 楽しみね。 隼人の、ファーストアルバムかぁ~… 」
「 本来なら、ファーストシングルが、先なんだけどね。 リーダーアルバムとして、リリースしたと考えれば… ん、まあいいか、ってカンジだ 」

 先日の、告白の事には、触れない……

 スッキリしたい里美ではあるが、屈託無く会話している今の雰囲気を、壊したくはない。
 里美も、あえて自分から、先日の事を切り出すのはやめた。
 少々、じれったいのもまた、恋愛の醍醐味だ。 こうして少しづつ、お互いの心の距離を縮めていけば良い……
 里美は、そう思った。

 懐メロの曲集を買いたいと言う隼人に付き合い、里美は、隼人と共に、市内の大きな楽器店に行った。
 1階が、CDやDVDの売り場で、2階がドラムやギター。 3階は、管楽器・弦楽器・ピアノのコーナーらしい。 正面玄関に表示してある案内板を、横目で見ながら店舗に入る里美。
「 楽譜は、3階だ 」
 隼人は、よく来るらしい。 エレベーターホールのボタンを、迷わず押しながら言った。
 里美は、こんな店に来たことが無い。 幼い頃の記憶を掘り返してみても、『 楽器屋 』に行った覚えは、1度も無かった。
「 あたし、楽器屋さんって、生まれて始めてかも 」
 そう言う里美に、隼人は、笑いながら答えた。
「 どうやら、オレ… 貴重な体験をさせているようだね。 結構、面白いぜ? 色んな楽器が置いてあってさ 」
 エレベーターに乗り、3階へ。
 扉が開くと、ガラス製のショーケースの中に、綺麗に並べられた楽器が、里美の目に飛び込んで来た。 様々な形をした楽器が、部類別にコーナーで仕切られ、室内一杯に展示してある。
 日曜日ともあって、沢山の客で賑わっているようだ。
「 …わぁ! 結構、人がいるのね。 …あ、あの楽器、知ってる…! この前、隼人のライブで、吹いてた人がいたでしょ? 」
 里美が、手前にあったショーケースの中に並んでいる、サックスを指差し、言った。
 隼人が答える。
「 ああ。 でも、コイツはテナーだ 」
 …そう言えば、ライブで見た楽器より、少し大きい。
「 あ、アレだ…! そうでしょ? あの楽器 」
 少し、離れた所に展示してある楽器を見つけた、里美。
「 そうだよ。 少し、見ていこうか? 」
「 そうね。 面白そう…! 」
 ショーケースの前に立つ、里美。
 こんな真近で沢山の楽器を見るのは、初めてである。
 ワクワクしながら、里美は、金色に輝く楽器を眺めた。
「 へええ~、 真っ直ぐなサックスもあるのね~ …うげ、高っか~、38万だって…! 」
「 アッチのフルート、見てみ。 ン百万ってのが、あるぜ? 」
「 え~、ナニそれ。 宝石みたいね 」
 フルートのショーケースの所へ行き、そのプライスカード見る、里美。
「 …はいい~…? 360万円……? こんな楽器、買う人いるの……? 」
「 いるから、作ってんじゃん。 金メッキのハンドメイドフルートじゃ、まだ安いほうだ 」
あっけらかんと、答える隼人。
「 え~…?  信じらんないわ…! あたしなら、車、買っちゃう。 それでも、200万くらい、おつりが来るわね 」
 隼人は、笑いながら言った。
「 里美は、経済的だなあ~ 」
( …今、里美って、言った…! )
 ちょっぴり、嬉しい。 『 さん 』付けではない所が、親近感が増す。
 名前に『 子 』が付く女性は、『 さん 』付けで呼称した方が品がある… とは、とある人文学者の話しである。 呼称を、どう使い分けるかは、人により様々だとは思うが、里美自身としては、交際相手からは、呼び捨てにして欲しいと思っていた。 自身は、相手を『 さん 』付けで呼びたかったのだが……
 年下の隼人を『 さん 』付けで呼ぶのは、おかしい。 ましてや、交際相手ともなれば、尚更だろう。
 これも、カタチを変える、恋愛の定めか……

 ひと通り、楽器を見た里美と隼人は、楽譜売り場へと向かった。
 整然と並べられた教本や、曲集… 里美には、何が何だか分からない。
 隼人は、手馴れた感じでピアノ譜のコーナーを探すと、数冊を取り、目を通し始めた。
( あたしも、何か、楽器が出来たらなぁ…… )
 ジャズピアノの曲集を背表紙に見つけ、何となく、手にとって開いてみる。
「 …… 」
 解読不能な、おたまじゃくしの行列だ……
( え~っと… コレが、『 ド 』で… 違うわ、『 ミ 』かな? この、井桁のマークって、何だったかしら? )
 ……全然、思い出せない。
 曲集を棚に戻し、ため息を尽く、里美。
「 里美? 里美じゃない…! 」
 横に立っていた女性が、里美を呼んだ。
「 ? 」
 ウエーブの掛かった、長い茶色の髪。 ベージュのパンツスーツに、銀色のヒールを履いた女性だ。
 里美は、驚いたように答えた。
「 …え? 裕子…? 裕子よね! わぁ~、久し振り! 」
 里美の、大学時代の友人である。 クラスこそ違ったが、高校も一緒で、下校時は、よく一緒に電車で帰ったものだ。 会うのは、3年振りである。
 裕子は、里美の両肩を抱きながら、嬉しそうに言った。
「 卒業以来じゃ~ん、里美ィ~! 元気だった? 」
「 うん、元気よ? 裕子も? 」
「 ありがと。 …ところで、こんなトコで何してんの? 楽譜? 」
 先ほど、里美が、棚に戻した曲集を見る、裕子。
「 …は? ジャズやんの? 里美…! これ… コンボ用の曲集じゃん。 え~? アンタ… いつの間に、こんなん弾けるようになったの? 」
 大学時代、ジャズサークルに所属していた、裕子。 確か、付き合っていたベーシストの聡という同級生と、コンボバンドを組んでいた。 その後、どうなったのかは、里美も知らないが…
 里美は、慌てて訂正した。
「 ち、違うわよ… あたしは、弾けないって…! カレが… 」
 そう言って、隼人の方を見やる、里美。
 『 カレが 』という説明には、心なしか、少し嬉しい里美。
 友だちなのか、恋人なのか… それは、聞き手が、どう判断して受け止めるかによるが、ある種、謎掛けのような事が出来る今の自分に、小さな幸せと優越感を感じる。
「 カレ……? 」
 意外さと、興味・関心を抱いたのか、裕子は、隼人を見た。
「 ? 」
 ぽか~んとした表情の、隼人。
 曲集を手にしたまま、里美に尋ねた。
「 …誰? 里美の友だち? 」
( また、里美って言ってくれた…! )
 ますます、嬉しい里美。
 しかも、今の自然な言い方は、友だち以上の親愛関係であるという事を、裕子に感じさせた事であろう。
 裕子は、里美を一瞬見て、『 …へええ~~~… 』と言う表情をした。
 妙にテレる、里美。

 こんな事でも、幸せを感じられるのも、恋愛の役得である……
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