白詰草は一途に恋を秘め、朝露に濡れる
 でもだからこそ何も言えなくなった。

 想いが届くことなどないのだとしても、記憶の中でまで困らせたくない。


 オードリーは口を開きかけ、けれどすぐに(つぐ)んだ。恋人を死地に送るかのような顔で頷くだけに留め、部屋のドアを開ける。

 最後に部屋を見渡し、ロゼリエッタも後を続く。

(さようなら、クロード様)

 持って行くものは何もない。

 ロゼリエッタが家から持って来た数少ない荷物は、アイリと共にレミリアに預けられたと聞いている。

 この部屋から持ち出すものもない。


 ささやかな思い出が胸の内にあるだけだ。

(でも、それでもいいの。本来なら手に入れられなかったものだから)

 ロゼリエッタは毅然とした表情で顔を上げ、振り返らなかった。



 階段を下りたオードリーは、玄関には向かわずに屋敷の奥へと歩いて行く。

 この先にあるのはダイニングと図書室のはずだ。

「オードリー……?」

 不安に駆られて声をかける。

 返事はない。オードリーはただ無言で先を歩くだけだ。

 もう世話をする必要がなくなった。だから話すこともないと決めたのだろうか。

 それなら、寂しいけれど仕方がない。元々オードリーは違う人物を主に持つ侍女なのだから。


 返事を諦めて視線を落としかけ、ふとオードリーの頬が小さく光を反射していることに気がついた。

 ほんの小さな一滴が、けれど確かに彼女の頬を伝っている。

 オードリーは口元を引き締め、声もなく涙を流していた。


 その事実にロゼリエッタの瞳も潤む。

 でも唇を噛みしめて泣かなかった。

 代わりにオードリーの姿を、屋敷の様子を懸命に脳裏に焼きつける。


 屋敷を出るよう一方的に言われてから、ロゼリエッタはずっと、いつだってクロードに簡単に切り捨てられる存在だと思っていた。

 だけど、ふと思ったのだ。

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