5時からヒロイン
「水越くん?」

さすがの社長も驚きを隠せないようで、コーヒーのカップを持った手が止まっていた。

「退職届は後程提出いたします。失礼いたします」

くるりと社長に背を向け歩き出すと、社長が私の前に回り込んできた。

「足をどうしたんだ」
「転びました」
「転んだって……見せなさい」
「大丈夫です」

パンプスを履かないで社長の前に立つと、私は意外と身長が低くていいじゃない。少し見上げてみる社長の顔は、ひときわ素敵でドキリとしてしまう。それでも一度沈んだ気分は上げられず、笑顔も出ない。

「大丈夫なわけがないだろう」
「わ!!」

きゃっとでも言えれば可愛いのに、でた言葉はこれだ。
社長は私を抱き上げて、応接セットのソファに座らせた。

「膝は擦り傷だけか? 消毒は? 病院は?」

矢継ぎ早に質問されては、答える隙もない。

「湿布していれば大丈夫ですし、膝は擦り傷です。今日は秘書課にヘルプを頼みましたからご心配には及びません」
「病院だ」
「は!?」

それから社長の行動は素早かった。私がソファに座っている間に、車の移動、秘書課に連絡と、周りを巻き込んで大騒動になった。
社長室には神原さんが来て、私のバッグなどを持つ。
そして、私はというと……。
社長が抱き上げていた。

「車は?」
「既に玄関口に移動済でございます」

神原さんがいたって冷静に答えた。

「あの! 歩けますからぁぁ~」

というと、ものすごい顔で睨み付けられ、私は大人しく抱き上げられていた。
エレベーターに乗り込む時は、秘書課のレディたちが、目をハートにして見送り、といっても野次馬根性で見に来たに違いないけど、一応心配そうにしていた。
さすがに部長は焦って神原さんと一緒にエレベーターに乗った。狭いエレベーターは、太った部長のせいで息苦しい。

「あの……社長、あの、そのなんていいますか、私が水越君を支えた方がよろしいかと……」

汗をびっしょりかいた部長が、申し訳なさそうに言う。すると、神原さんが言った。

「部長ではご無理かと思います。ここは、社長にお任せしてよろしいのでは?」

日頃、口数が少ない彼女がいう一言は、かなりの破壊力がある。部長は助かったという顔をしながらも、ぺこぺこと頭を下げていた。今だって私が抱き上げられている状態で狭いエレベーターに4人が乗っているけど、神原さんはずっと前を向いて冷静。他の秘書達だったら、浮足立っていたに違いない。
体形維持は必死でしているけど、身長が高い分、体重は重い。それでも社長は平気な顔でいられるなんて、激務の中どうやって時間調整して鍛えているのだろう。
両思いだったら首に腕を回して、甘えちゃうのに。

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