ここではないどこか

 お母さんを最寄り駅まで送っている道すがら、私は辟易していた。「一緒に送って行くよ」と言った透の提案を断ったのは私にこの話をするためだな……。

「良い人紹介してらおうか?ほら、近所の村上さんて覚えてるでしょ?あの人顔が広いから良い人紹介してくれるみたいよ」

 先程流れたと思った彼氏云々の話は強烈な進化を遂げて私の元へと舞い戻ってきた。

「さっきも言ったと思うけど、それはほっといてほしいの」

 それなら致し方なしという理由がないと納得しないのだろうか。私は分かり易くため息を吐いた。そんな私を見たお母さんは、もうどうしようもないと思ったのか、一呼吸置いて私の手を握った。

「親や周りの大切な人に言えない相手と付き合うことだけはやめてね。香澄なら大丈夫だと思うけど。透はこうと決めたら周りが見えなくなる子だから、香澄からもよく言って聞かせて。お母さんあなたたちを信じてるわよ」

 これは牽制なのだろうか。私を見つめるお母さんの瞳からは感情が一切漏れ出ていなかった。握られた手がじとりと汗をかいた。顔は強張っていないだろうか。

「なにそれ。大丈夫だよ……。それに私好きな人がいるから」

 咄嗟についた嘘にお母さんは目を輝かせ「早く言ってよ!誰?職場の人?」と嬉々とした声を上げた。
 誰?誰と聞かれても……パッと頭に浮かんだ仁くんの顔を掻き消す。だめだめ。

「職場の人じゃないよ」

 これは相手まで言わないと納得してくれないパターンなの?

「えー、じゃあ誰だろ……大学の時の友達とか?」

 あ、はい。そのパターンですね。次第に圧を強くするお母さんにたじろぎながら口からポロッと零れたのは「瑞樹くん……?」だった。


 あの後「だから言えなかったのねー!彼まだ高校生だしね、しかもアイドルだし。でもお母さんは応援してるわよ!」と自分勝手に納得し、「電車の時間だから帰るわ!」と瞬く間に消えて行った姿に呆気に取られたまま私は家へ急いでいた。

 とりあえず納得してくれてよかったと。あと、瑞樹くん本当にごめんと。そして何より母の勘の鋭さへの恐怖に、感情が忙しく動き回っていた。

「おかえり」

 私が「ただいま」を言う前に透が出迎えてくれた。きっとずっとここで待っていてくれたんだな。

「顔が疲れてる。もしかして駅までに彼氏がどうとかって話された?」

 それどころか、もっと大きな爆弾を落とされたし、私も落としてしまった。私が端的に話すと透も顔を引き攣らせた。

「たぶん俺のせいだわ、ごめん」

 全くその通りだと思ったが、私も嬉しくなって頬を染めていた自覚がある。「誰のせいとかないよ。2人の問題だから」と言った言葉。それは本心だった。

「それよりも瑞樹くんに迷惑かからないといいけど」
「……なんで瑞樹って言ったの?」

 そう聞いてきた透の声と目には嫉妬の色が多分に含まれていた。

「高校生でアイドルだと、お母さんも協力できないだろうし、上手くいかない言い訳も思いつきやすいかなーって」
「ふぅん……」

 本当はおもしろくないのだろう。だけど自分の否を認めている透はそれ以上食い下がってはこなかった。

「それにしても……ふふっ……」

 何もおかしいことなんてないのに、なぜだか笑みが零れる。

「お母さんに会うのにこんなふうに罪悪感を抱えて、胃が痛くなるまで緊張するっておかしいね。改めて私たちの罪の深さを知ったよ」

 何もおかしいことなんてない。だけど笑っていないと心がどうにかなってしまいそうなのだ。
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