ここではないどこか

 姉さんが仕事で良かったと心底思った。このまま寝てしまいたいとシャワーも浴びずにベッドに入る。身体が沈んでいく。意識を手放すまで、それでも俺は姉さんのことだけを考えていた。

「とおる、とおる。大丈夫なの?」

 肩を優しく叩かれた感触に薄っすらと目を開けた。あぁ、俺の愛しい人。手を伸ばせば擦り寄る頬にさらに愛おしさが募る。

「体調悪いんだよね?」

 昨日までなら引っかかりもしない言い方だったであろう。ただ、今は、言葉尻を捉えて「それはもしかして瑞樹に聞いたの?」と詰め寄ってしまいそうなほどだった。

「疲労かもね」
「気を張ってたしね。食欲は?」
「あんまりないかも」

 姉さん、そのどこまでも優しい眼差しに俺の全ては赦されたんだ。このどうしようもないほど醜い恋心さえも赦されたはずだった。
 だけど俺はいつも苦しい。幸せだった瞬間を宝物のようにかかえて、擦り切れるまで思い返している。
 姉さん。ごめんね。俺は手放せそうにないんだ。地獄だとわかっていても、姉さんがいてくれるならもうそれだけでいい。姉さんが俺の全てだ。死んでも変わらない。姉さん、俺はあなたなんだ。

「そう……とりあえず飲み物持ってくるね」

 立ち上がろうとした姉さんの腕を咄嗟に掴む。驚いた表情の姉さんが俺を安心させるように微笑んだ。

「いかないで」

 掠れた声が自分のものではないみたいだ。「いかないよ、どこにも」そう言おうとしてくれたのだろうか。「い」と発した刹那、スマホの着信音がそれを遮った。
 あの時言おうとしていた言葉は、永遠にわからないままとなった。
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