離婚するので、どうぞお構いなく~冷徹御曹司が激甘パパになるまで~
「明日から一年半家を空けるが、何かあったら弟の仁(じん)を頼るように」
「かしこまりました。お気をつけていってらっしゃいませ」
「……やけに清々しそうな表情だな」
 ふっと、嘲笑するように口角を上げ、黎人さんはワインを口に運んだ。
 私は「何をおっしゃるんですか」と一応返し、人形のような作り笑いを浮かべている。
 こんな茶番をする意味も、あと少しでなくなる。さて、いつ言い出そうか。
 そんな風に思っていると、前菜の鮮魚のカルパッチョが運ばれてきた。本当は生魚は大好物なのだけど、食べないほうが安全と言われている。
 美しいお料理をじっと見つめたまま固まっていると、黎人さんが不思議そうに訪ねてきた。
「食べないのか?」
「少しお腹がいっぱいで……。メイン料理を楽しみにさせて頂きます」
「君の好物だったはずだけどな」
「え……」
 意外と、そんな小さなことは覚えていてくれるのか。私は一瞬動揺する。
 いや、こういうマメなところも、女性にモテるたしなみのひとつということだろう。私自身に興味があるわけではない。
 少しでも感情が動いてしまった自分を振り払うように、私は急に話題を変えた。
「そういえば、入籍日に植えたお花が、綺麗に開花したようですよ」
 しまった。ついお花のことしか話すことがなくて、まるで咲くのを待っていたかのような言い方をしてしまった。
 私の家では、代々娘が嫁に出た日は何かしらの植物を庭に植える風習がある。両親に何を植えたいのか希望を聞かれて、黎人さんの前で私は『椿がいい』と即答した。
 私の中で思い出の花は……、椿の花たったひとつだけだ。
 お見合いの日に、黎人さんが落ちそうになった椿の花を片手でふわりと受け止め、私の髪にかざしてくれた。
 花を優しく扱い、私の髪にかざして優しく微笑む黎人さんの記憶は――今はもう遥か遠くに感じる。
 目の前で興味なさそうな表情をしている黎人さんに、私は最後の望みをかけて問いかけてみる。
「黎人さん、何のお花を植えたか、覚えていますか?」
 『椿がいいです』と即答したあの時、私は隣にいる黎人さんに向かって、心の中で『あの日のことを特別に思っています』と念じていた。
 政略結婚という形になってしまったけれど、私のこの想いが伝わっていますようにと、願いながら。
< 10 / 107 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop