離婚するので、どうぞお構いなく~冷徹御曹司が激甘パパになるまで~
 愛しい気持ちが手のひらからじんわりとあふれだして、瞳からは大粒の涙が流れる。それでも私は、泣いていることがばれないように努めてふるまう。
「お母さん、ありがとう。私頑張るね」
 自分にも我が子にも誓うように、私はそう宣言したのだった。
 電話を切った瞬間、私は待合室のベンチに座り、優しく何度もお腹を撫でる。
 一時でも不安でいっぱいになり動揺してしまった自分事、許してあげられるように。
「ママがこんなに泣ていたら、赤ちゃんも不安になるよね、ごめんね」
 あなたを絶対に幸せにするからね。そして、私を強くしてくれてありがとう――。
 私は大きな覚悟を決めて、あの人に立ち向かっていくことを決めたのだった。



 妊娠が発覚してから約一カ月後。
 ついに明日から、黎人さんが一年半アメリカに発つことになっている。
 私たちは月に一度食事の機会を設けて、家の者に怪しまれないようお互いの状況を確認しあっていた。タイミングよく、それが出立日の前夜で、離婚を言い渡すのならこの日だと決めていた。
 離婚を決めてからの数日間は、離婚の手順と、出産までの知識を取り入れるために時間を費やしていた。
 不思議と彼の顔を見ても心は穏やかで、血のにじむ努力をして得られたお免状と、大好きなお花たちと、愛しいまだ見ぬ我が子が、自分の心を常に鎮めてくれている。
 傷ついている暇などないことが、今どれほど幸せかひとり噛みしめていたほどだ。
 そして今、私は診察終わりに黎人さんの会社へ向かっている。
 『会社前に二十時に待ち合わせ』と伝えられ、お店に直接集合でよいですと返したが断られた。どうやらお店が入り組んだところにあるようで、迷って遅刻されるほうが面倒だったのだろう。
 人が入り組む街路を抜けて、表参道に堂々とそびえたつビルに向かうと、明らかに日本人離れしたスタイルの男性がロビー前に立っていた。高級そうなダークグレーのスーツを、寸分の狂いもなく美しく着こなしている。
 会社を出ていく女性社員二人が、黎人さんを見てぎょっとして、頬を少し赤らめながら挨拶をしている。すると、黎人さんがにこっと笑みを返して、「お疲れ」と一言返していた。
 ――黎人さんて、あんな風に笑うんだ。
 彼は私に普段向けたことのない笑顔を振りまいていて、それを見たら不思議と胸が少しだけ痛んだ。
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