可愛すぎてつらい

19.我慢できなくて

 
 まさかフレッド本人に聞かれていたなんて、と驚きとともに顔を真っ赤にしていたチェルシーだったが、全員席に着いたことにより食事が運ばれてきて、そちらに集中することで誤魔化した。


 本人たちは無自覚でもフレッドとチェルシーに流れる甘くもじれったい空気。そんなものは今までなかった。

(嬉しいけれど、本当にこの子たちはどうしちゃったのかしら?)

 チェルシーとの関係が良好であり、彼女と共にする時間もあるサマンサは、折に触れてフレッドは誤解されやすいこと、妻を大切に想っていることを伝えてきたつもりだった。それでも彼女が実の母親であるサマンサに言えないことも多々あるだろう。

「だったらいいのですが……」
 とあやふやに返されることが殆どだった。チェルシーは若さ故、恋に恋したいお年頃。それならばフレッドに恋してもらえれば家族として幸せなことこの上ない。
 しかし以前定番の恋愛ものの観劇に行った際に、あんなふうに愛されたいとポロリと零していたから、残念ながらフレッドの想いは伝わっていないのだろう。

 何年も恋してこんなにも焦がれて嫁いできてもらったにも関わらず、チェルシーに素っ気ない態度をとる息子に、はっきり言って問題がある。目にするたびに灸を据えるのだが、自身の旦那であった前伯爵に似て不器用なのだ。フレッドのことだってもちろん大切だから、どうか二人が愛し合えるようになればいいと常々願っていた。望みは薄くとも。

 だから目の前のこそばゆい雰囲気に内心首を捻る。フレッドの想いは重すぎるけれど、それの欠片でも気付くことがあったのだろうか?
 無関心だと思っていた相手の好意を目の当たりにしたら、どうしても意識してしまうというもの。それなのだろうか?
 確かにフレッドが忘れた本に挟んであった、自身の幼き時の手紙を目にしたチェルシーは驚きつつも嬉しそうだった。

(あり得るわ……)

 フレッドに向けられた視線が気になるほど、彼を独り占めしたいと思えるまでになったのだから。

「ほほほ」
「お母様?」
 思わず笑みが零れてしまったサマンサは、ナプキンで口元を押さえつつ
「二人が仲良くデートしてきたようで良かったわ。ねぇ、フレッド」
 と未だ耳朶に朱が残っている息子に話を振った。

 * * *

 元々お腹も空いていなかったところに、サマンサとの会話をフレッドに聞かれてしまって、少なめの食事でもちっとも喉を通らなかった。
「チェルシー、昼が遅かったのだから無理しなくていい」
 と少し目元を緩ませたフレッドにそう助け舟を出されて、また胸がキュッと締め付けられた。
 やっぱり自分はおかしい。
 けれどチェルシーは我慢の限界だった。フレッドともっと触れ合いたい。そしてもう一度満たされたいという想いが溢れ出す。

「フレッド様!」
 食事を終えたあと、再び書斎に戻ろうとするフレッドを廊下で呼び止めた。

 今日何度も耳に出来た愛しい声に振り返ると、切羽詰まった様子のチェルシーがいた。何か問題でもあったのだろうか?
「どうかしたか?」
 気遣ったつもりながらも、フレッドの聞き方は素っ気なくてチェルシーは俯き、ワンピースのスカートの部分をギュッと握った。昨日今日のフレッドは都合のいい夢だったのかと思ってしまうほど、今までと変わらない冷めた声。

 けれどこのやり場のない想いを何とかしてくれるのは彼しかいない。フレッドしか駄目なのだから。

 ほんの僅かな沈黙のあと意を決したチェルシーが顔を上げると、そこには無表情だけれど目元に優しさを乗せたフレッドがいた。ハッと息を飲む。やはり目の前に居るのは今日一緒に過ごした彼だったのだ。

 だから、チェルシーがお願いしても彼なら聞いてくれる。

 辺りに誰もいないことを確認して、意を決してコクリと喉を鳴らす。

「フ、フレッド様にお願いがあります!」

 チェルシーの言葉に、彼女に好意を持たれている自信のないフレッドの脳裏には、瞬時に悪い妄想が繰り広げられた。もしかしてもう二度と一緒に出掛けたくないとか、それとも……?

 けれど今日とても楽しそうにしていたし、食事前に偶然聞いてしまった台詞も浮かれてしまうようなものだった。グルグルと脳内で原因を探るも決定的なものが何か見当もつかない。
 しかし辺りを気にしていたことから、あまり人に聞かれたくないことなのだろう。

 近くには行こうとしていた書斎がある。今の時間からは呼ばない限りは誰も訪れないから丁度いい。

「……ここで話せない内容ならば私の書斎で聞こう」
「ありがとうございます」
 そう言ったチェルシーにやはり良くない話なのだとフレッドは戦慄した。

 ああ、昨日今日と見たのは夢だったのだろうか。それとも絶望をさらに落とすための神の悪戯か?やはり神なんていなかったのだ。
 冷たい汗が背中に流れるのを感じながら、やけに長く感じる書斎までの道程を歩いた。

 * * *

 結果的に神は居た。もちろんチェルシーが最も崇めるべき女神に変わりはないが。

 書斎のドアを開けてチェルシーを先に入るよう促す。ドアを閉めるなり、背後に軽い衝撃と共に温もりが。この部屋に温かな存在など、チェルシーしかいない。ということは背後は彼女なわけで。さすがのフレッドも動揺した。

「チ、チェルシー?どうした?」
「あの!お願い聞いてほしいのです」
「お願い?」

「私、もっとフレッド様と触れ合っていたいのです!」

 暫しチェルシーの言葉を脳が理解できなかった。触れ合っていたい?今まさに触れ合っているのでは?もしかして昨晩のようなことを言っている……?いやいや、ないない。フレッドは不器用ながらも己をよく知っている。

「はしたないですけど……。昨晩みたいに、行きの馬車みたいなことを、もっとフレッド様としたいのです」

 ——言った!なんとチェルシーは昨晩のようなことだと言ったのだ!

 フレッドの腹に回された彼女の手が僅かに震えていた。夢なのだろうかとこっそり自身の頬を抓ってみる。痛かった。
 身を捩ってチェルシーに向き直ると、フレッドを見上げる。その深いエメラルドグリーンの瞳は確実に熱を持っていた。思わずゴクリと空唾を飲みこむ。

 頤を持ち上げて唇を重ねた。無意識だった。身体が勝手に動いたのである。

 舌を捻じ込めば、少し戸惑いながらもチェルシーも絡めてきてくれた。フレッドの顎あたりの身長の彼女を上から覆いかぶさるようにして抱き締める。するともっとと強請るように、細い腕に力が籠る。フレッドも腕のなかの華奢な愛しい存在を壊してしまわぬように努めて優しく、けど離れないように抱きしめた。

 どれほど夢中で唇を貪っていたのだろう。チェルシーが膝を崩れさせて、ようやく唇は離れた。

「はぁ、はぁ、フレッド、さま……」
 ペタンと床に座り込んでしまったチェルシーの膝下と背中に腕を差し入れて抱え上げる。
「きゃっ」
 思わず声を上げたチェルシーのこめかみにキスを落とす。ずっとこうやって甘やかしたかった。触れたかった。彼女には悪いがもう止まれそうにない。

「もう、我慢できない。ここで抱いてもいいだろうか?」
「……っ!」
 チェルシーが息を飲んでフレッドを見上げた。そこにはチェルシーを欲するただの男がいた。下腹部が歓喜して甘く疼く。

 書斎の中央に置かれたソファーにそっと下ろされた。上から覆いかぶさるフレッドの目をしっかりと見つめてからコクリと頷いて、彼の首に腕を回す。

「私も我慢できません。昨晩みたいにして下さい」
 そう耳元で呟くと、フレッドの喉がグゥと鳴った。
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