初老アイドルが一般人女子との恋を成就させるまで
スパノヴァのF県でのライブから数日後、茜は頭を抱えていた。
理由は、本番まであと10日と迫った地区大会で上演する芝居についてだった。



高校演劇の世界では作品を選ぶとき、既成か創作脚本の2つの選択肢がある。
既成作品はプロやその部活の顧問・部員以外が書いたもので、創作作品は部員・顧問のどちらかが書き下ろしたものである。
今回、茜たちの部活では、創作脚本に取り組んでいた。
ベースとしたのは宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」。
それを演じる高校生の関係や問題を絡めて描くストーリーだ。部長のよっちゃんが中心となって脚本を作り、舞台を作ってきた。


しかし、ここにきてラストをどう演出するか、という問題に直面していた。
ベースとなった「銀河鉄道の夜」をより強く印象付ける演出にするか、それとも現代の高校生たちの方を強く出す演出にするか。
部内でも意見は割れ、茜としてはどちらか決めあぐねていた。
前日にリハーサルがあることも考えると、一刻も早く決めてしまわなければいけない。
しかし、どちらか選ぶ決め手に欠けるのもまた、事実であった。
誰かに相談するという手もあるが、茜が知っている高校演劇関係者は即ち他校の顧問となり、大会という性質上、自動的に彼らはライバルとなる。
そのため、自分たちで決めるほか手はなく、刻々と時間だけが過ぎていった。
そして、今日の部活でも結局決まらず、最終的に、顧問である茜に最終決定が一任されることとなった。



という訳で、今日は残業もそこそこに茜は帰宅し、大会の台本のラストシーンのページと向き合い、ひたすらに悩んでいたのであった。
茜としては、やはり現代の高校生を描いているのだから、そちらの演出プランでいこうと最初考えていたが、「銀河鉄道の夜」の要素が全くないのも違和感がある。
折衷案にしてもよいが、それだとどっちつかずな感じで、ラストとしては弱い。


考えが煮詰まった茜は、少し頭を休めるために一度台本から目を離し、テレビのリモコンを手にしてテレビをつけた。
何か見たい番組があるとかではなく、何か音が欲しかったのだ。
ちょうど時間帯的に番組は終わっていて、テレビはCMがひっきりなしに流れていた。


と、その時、今週末に放映予定の映画の番宣が流れ始めた。
それは10年程前に公開されたサスペンス物で、航太が出演していたものだった。
自然と、茜の視線はテレビにくぎ付けになる。


この映画で航太は、連続殺人犯を演じていた。
その演技は凄まじく、アイドルという肩書故に航太の演技を侮っていた人たちを黙らせた。
デビュー以来、舞台の経験が豊富でファンの間では演技力に定評のあった航太だったが、この映画で世間一般の大衆も、彼の演技力の高さを知ることとなったのだ。


予告に映る航太を見て茜は、夏に会った時と全然違うな、とぼんやりと思い出す。

と、ふと彼女の脳裏に浮かんだのは、二人で芝居をした時の航太の姿だった。
あの時、茜の目の前にいたのは、確かに“荘太郎”であった。
小倉航太ではなく、明日沖縄の空へと旅立つ“荘太郎”だったのだ。
それは、表情だとか部分的な話ではない。
千代を見つめる瞳、去ろうとする背中、千代に別れを告げる声、全てが“荘太郎”以外の何者でもなかった。
たった数分で、それを成し得ることのできる航太の実力に、茜は改めて身震いする思いがした。


同時に、演じ終わった後に気づいたのだ。とても芝居がやりやすかったということに。
芝居できちんと会話が成立している感覚を茜が覚えたのは、かなり久しぶりだった。
それは、航太がきちんと茜のことを見て、彼女の言葉を聞いてくれたからだ。
当たり前のことかもしれないが、意外とこれが難しい。
それをごく自然にやってのけた航太の役者としてのポテンシャルの高さを、茜は文字通り身をもって思い知った。
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